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新人が「できない人間」という訳ではないかもしれない

2021年4月1日。
私が所属する課に、8年ぶりの新卒新人が配属される。
個人的には「長かったぁ」というのと「楽しみ」という印象である。
 
しかし、その新人にとっての今日は、大きな不安で明日を迎えるのが不安なことだろう。
 
さぁ「8年ぶり」と確信持って言えるのは調べたからではない。というのも、8年前の2013年4月4日付けに採用されたのは、22歳のときの私だから。
 
 
札幌の大学へ進学。学業では法律を専攻。
学外の活動では、学生団体の代表を務めたり、学生起業に携わったりと、アブノーマルな学生生活を送っていた。
それらの経験には「情報を発信する」ということが不可欠だった。だから、周りの人よりも「文章を書いたり、情報発信については秀でている」と思っていた。

速攻でぶち当たった社会の壁

面接では「隣町の苫小牧に住んでいるが安平町の情報は高校時代の友人が住んでいるという情報以外入って来ない。少しでも多くの人に情報を届けたいので広報などをしたい」そんなことを言った。

そういったことも作用してか、広報担当に配属された。
 
当時の教育長は「威勢が良かったのを覚えているよ(笑)元気にやり続けるんだよ」と採用後、顔を合わせる度と言っても過言ではない程に話してくれた。
 
さてさて、当の小林だが、ぶち当たるのです。
当時の課長補佐から社会人2週間目に「情報発信やっていたんだって?それならなんかやってみ」というパスを受け、安平町のFacebookページとYouTubeを開設と運用。

これを見れば結構スムーズに見えますが、ひとつの投稿をするまでに時間がかかった。
SNSのひとつの投稿とは言え、まちの名前を背負って情報を発信するため「誤解されない伝え方」「わかりやすい文章作成」いうことが厳命だった。
 
自信はあったが、結果は惨敗。
自分が書いた文と比べ、さほど文字数の変わらない紙いっぱいの赤字。
今思えば、ただ単に「こんな文章じゃダメ」と突き返された訳じゃなく「ちゃんと読んで校正してくれた丁寧な仕事」と思えるのだが、22歳のコバヤシはそうは思えず…。
弱かったのかなぁ〜
褒められることもあったけれど、
 
「前にも言ったよね?」
「何回言われるの?」
「ひとつ直ればひとつ(修正箇所)出てくるね」
「また指摘されているね」
 
そんな言葉が積み重なっていき、次第に心を折られた。いや折られたというより、やる気が落ちた。
自分の確認で防げる注意もあったのはもちろんだから、指導の言葉が悪かったということはないだろう。  

「こういうスキルを持てばこういう職員に見られるからトライしよう」


こんな言葉があったらどうだったのだろうか?
かけられたかもしれないが、記憶には一切ない。
 
「たら」「れば」は嫌いだ。
だからここで書くのも嫌なのだが、自分への戒めとして書いてみる。
みんながみんな「強靭なメンタルを持っている」という訳ではない。
さらに、出来上がっている組織に組織への浸透度合いが低い人がジョインしたとなれば、メンタルが強い人だとしても不安などでグラつくことくらいあるだろう。
  
当時の私は、今ほどメンタルら強くなかった。
「また注意された」や「注意されているところを見られている」など自己嫌悪の日々が印象的だった。
しかし、「こういうスキルを持てばこういう職員に見られるからトライしよう」というアドバイスが印象的な指導であれば、やる気が落ちることはなかった気がする。
「他人のせいだ」
そうかもしれない。だけどこれは、採用から6か月内の試用期間の話し。
適正なしと判断されれば、雇用されないかもしれない身分。「メンターが付いて、凹んでるときのケアとかあったら、今のコバヤシはどんな風になっていたのだろう?」と良く思う。
 
ただ指摘される日々。
やる気の低下は、負のスパイラルを生んだ。
「どうせ怒られるなら」
このマインドが小林のベースとなった。
 
次第に職場に着く時間が遅くなった。
なぜか?
それは、少しでも注意される時間を減らすため。
「管理職より遅いってどういうことだ?」とも言われたが、コバヤシには響かなかった。
 
「早く行っても怒られるんだよな。なら嫌だならギリギリに行こう」
こんなんがギリギリ出勤の理由です。
 
しょうもないんですが、それがしんどくなる人もいるということ。

通勤にも影響出た「やる気低下問題」。
 
仕事への関わり方にも影響が出た。
プロ意識が欠けすぎていて、今思えば恥ずかしい限りな話。
 
向上心が無くなっていったのだ。
 
面接時に「情報を届けたい」と話し、それが叶った。叶ったにも関わらず、これまでの蓄積からか「どうしてこういう結果なの?(上司が納得できる成果に到達せず)」という問いに対して、最初は「考えます!」とトライ精神はあったが、気付けば「別に」とか「どうせ〜ですから」というような逃げの返答になった。
 
どうして逃げたか。
「悩んでしても認められるないかもしれない。それなら、最初からほどほどにしよう」
そういうマインドになって固まってしまったから。
 
自分レベルで「最低限やれば良い」と思っていたからだ。
今思う。
やる気のない奴の「最低限の仕事」は、到底そのレベルにすらたどり着いていないということ。
「やる気あって努力しても実らない」
そんなことがあるのが答えの無い仕事。
常に本気でやらんと「絶対に最低限にすら届かない」。
 
「こういうスキルを持てばこういう職員に見られるからトライしよう」
もしかすると、誰かにとっては魔法の言葉になり得るのかもしれない。

腐り切らなかったのは写真があったから

「写真だけで食べて行こう」
そう思ったことはなく、上手に撮れるようになったら良いな。
そんな感じで写真を撮っていた。
実際、外を見れば上手なカメラマンは、プロでなくてもたくさんいる。
しかし、北海道の地方公務員という条件下では際立つことができていた。
 
「これは良い仕事できた!」と思って提出した成果に「なんだコレ?」と突き返されたこともあった。
だけど写真に関しては「小林が撮るなら間違いない」と言ってくれる先輩が近くにいてくれた。
今でも、その先輩からの声が1番嬉しい。 
そんな言葉があったから、腐り切ることはなかった。
 
 
良かった写真やってて。
そういう言葉をかけてくれる先輩がいたことが1番大きなことだけれども、そういうアイデンティティを持ち合わせていて良かった。

結局は個の力なのか


個の力(アイデンティティ)が自分を助けることは確実にある。
しかし、誰しもが個性が強く出る訳でもない。
もしコバヤシに、写真というアイデンティティがあの時に無かったならば?
安平町を確実に去っていた。
精神的に弱いのかもしれない。
努力不足なのかもしれない。
両方なのかもしれない。
だけど、認めて貰えるポイントを見つけられないまま、どういう道を歩むかわからないのは、不安であり恐怖でしかない。
 
そういう不安を持ったまま仕事をしても、楽しくないし、向上心も湧かないし、主体性も生まれない。

 
とは言え「個性を持て」という指示は乱暴過ぎる。
必要なのは「一緒にトライしていく」ということ。

正解を見せるだけでなく、対等な立場でトライすること

後輩を育てる際に「こういう人材になるための指導」と言い切ってくれれば、割り切れるのかもしれない。
実際、そういう人材育成をしてくれる環境が地方行政にあるか?と問われれば、私はそう見たことはないし、受けたことは無い。
 
なぜなのか?
歳を重ね、責任ある仕事を務めるようになって、周りを見て思ったがきっとこれだ。
「責任を取りたく無いから」
言い切ってしまうと責任が出る。
成功か失敗か。
公務員だけでは無いが、人は基本的に失敗を嫌う。
だからトライをしなくなる。
そして、自分がした経験の中でも得意な面で、部下と指導などで接する。
 
上から下に行くに連れて、伝えていくことは減る。
どんどんできることは減るし、トライできることも減る。
 
そして責任を負いたくないから、新しいトライや尖ったトライには過敏に怪訝な顔をするのだろう。
 
 
失敗しないことは良いことなのか?
 
失敗のまま放置するくらいなら、失敗しないようトライしないのも良いのかもしれない。
ただ、それは無責任な行動だから。
 
ちゃんと、失敗を認め、改善点を明らかにし、再度トライし成功に導く。
 
ただこれを経験の浅い人だけにさせて「失敗じゃないか」と経験ある人が安全な場所から指摘だけするのは、いかがなものか?と考える。
 
萎縮を生む。
忖度を生む。
都合の良い解釈を生む。
自己保身ファーストの思考を生む。
 
つまらなくないか?

無責任にトライするのはダメだ。
理解を得られる範囲で、責任を持てる範囲で、責任を持ってトライする。
 
それも、先輩も後輩も入り混じって。
スポーツチームのように。
後輩をお膳立てするために犠牲バントをする先輩。
先輩の失投をフォローする後輩。
 
基本的な上下関係は必要だとは思う。
しかしそれはリスペクトし合うから成り立つ関係性だ。
 
「歳上だから無条件にリスペクトされる」というのは傲慢だと思っている。
だから私はトライする。
後輩からの檄も受ける。
 
今30歳。
ちょうど良い歳。
正解も見せなきゃいけない年代だし、アホみたか頭悩ましてトライもガンガンできる年代。
 
この30歳という歳は、トライする歳にする。
このトライは、歳上の人に認められるためにやるトライではない。
自分よりも若い人と切磋琢磨するためのトライ。
 
なんか良い時間を共有できそうな気がする。

   
結局何を言いたいかというと、
「相手が納得できる(近い遠い問わない)将来への道筋を提示する指導」
「先輩後輩の壁を作らず共にトライする」
このふたつを後身の育成に必要なエッセンスだと、実体験をもって感じている。
 
「はー使えない」「最近の若者は」
そんな言葉を目にすることが増える4月。
もしかすると、指導する側にも問題があるかもしれない。
 
傲慢にならず「相手の立場になって考える」をちゃんとするということが鍵だ。
 
そんなのとは当然。
その通りでさ。
「当然のように知っている」ということと「実際の行動に落とし込めている」は全くの別物だ。
 
みんなにとって良い4月を過ごしたい。
そうなるよう、なんとなく実体験をもとに綴ってみました。


2021年度も、安平町の名を背負って、安平町の写真を撮る。
それがコバヤシのアイデンティティだから。

p.s.

2021年4月で広報担当9年目突入です。
2013年にやる気無くし、2018年から復調し、2019年末に目覚めた訳はまた今度。

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