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【写真人】石毛優花さん 写真ってそうだったんだ✨と思い出した瞬間

アイデムフォトギャラリーシリウス で石毛優花さんの個展にお邪魔してお話しを聞いてきました。

私は彼女の写真に多くのことを学びました。それは、ずっと私が抱え続けている家族との関係に直結します。

私の予感。この文章。途中で泣きながら書くような気がする。もう、うるうるしているもの。

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久しぶりに帰った実家。子供の頃を過ごした家に何年かぶりに帰った来たときの不思議な違和感。時間のズレという感覚は、体験した人しかわからないかも知れない。

家の中は、何も変化がないのに自分を含めた家族だけが年を重ねている。そして、その歳月と共に日常が非日常になり、そして日常になる。

優花さんのこれまでの写真集は、ゆったりとしたStreetPhotographyだった。気をはらず、無理せず、泳いでいる熱帯魚にカメラを持たしたような感じの写真。

今回の写真展は、3部作を再構成したものである。

「実家への帰郷」「介護」「死」。
すべての写真にリアル過ぎない非現実間が漂う気がする。それだけに、別々に進んでいた時間が、ある切っ掛けを境に同じ時間のなかに巻き込まれていくような感覚を写真に感じた。

でも、私は全く違うところに、気付きがあったのだ。それは、特別なことではなく、写真を知る多くの人がアルバムを作るならこのような分け方をすると思う。

この写真展の元になった3部作は、優花さんのライフイベントをまとめたものである。

私はそこに、ハッとしたのだ。「これも写真なんだ」と。

私は撮るときから、テーマを意識しすぎているかも知らない。もちろん、悪い訳じゃない。ただ、彼女の写真の構成には、今の私にはない自由があった。

それを特に感じたのは、実家の階段の写真。うる覚えなのだが取り壊される直前に撮影した写真らしい。しかも、見開きページに1枚づつ、2枚のボリューム。

きっと、私も🏡を取り壊すとなると、あれこれ撮影はする。でも、写真集で選ぶだろうか?

私は優花さんのライフイベントをまとめた写真の取り組み方をみて、もっともっと、写真を楽しみたいと思った。

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写真ににじみ出る家族との距離感

そして、ここから優花さんの個展をみて、私に突き刺さった杭の話。

今回の優花さんの写真展。まとめてしまえば、ライフイベントの記録写真でしかない。でも、彼女の構成には、単なる家族写真で留めないためのキラー写真が入っている。

このキラー写真によって、彼女の心が見えてくる。

家族にしての愛の大きさは、私だって変わらない。でも、私のカメラは家族を避ける。

撮りたいのに避ける。

そこに、私の抱える問題があることを彼女の写真を通して強く自覚した。

わずかばかりだけど、東京で孤独の時間を楽しんでいる。でも、今、この瞬間だけは、お父さん、お母さん、弟、そして、真美に会いたい。

なんと独りよがりな文章だと笑われるでしょう。でも、それが私です。ほかの歩き方はできません。面白い人間だと思ったかた、是非、ご支援ください。