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コミュニケーション力を育むおもちゃと遊び

前回の続きになります。昔の記憶を掘り起こしつつ現在の状況を加味し普遍的と思われるようなことを書き留めておきます。

コミュニケーションを豊かにする遊びって大事なの?

遊びの中で育つものにはいろいろあります。こどもが育っていく中で社会性も重要ですよね。社会性とは、一つは人間関係です。簡単に言うと友達とつきあうというのも人間関係です。もう一つは社会認識です。これは世の中がどういうシステムになっているのか、という事です。
人間関係は
だいたい3歳までだと
AちゃんとBちゃんがいたとします。
Aちゃんは好き。Bちゃんは嫌い というのはわかります。
しかし、AちゃんとBちゃんの関係は?というとわからないのです。
4歳くらいになると
自分はAちゃんが好き、でもBちゃんは嫌い
でも、AちゃんとBちゃんは仲良しなんだ ということがわかるのです。
人間関係の見通しが出来ていくということです。
社会認識
世の中がどういうものか興味を持つことが、大事です。
ドールハウスやままごと、パーマ屋さんごっこ、積み木やブロックで町づくり遊びなどで、社会のいろんな事に目が向きます。
例えば、ドールハウスでは家族の人形で家族構成や家族の関係性など遊びの中で知り感じていくことができます。
パーマ屋さんや、お店やさんごっこでは、社会の役割やしくみ、自分以外のものになりきることでの想像力、やりとりするコミュニケーション力も遊びの中で体験できます。

ある程度大きくなった時に、こどもたちだけで鬼ごっこなどするときに大人が介入することなくこどもたちだけで鬼を決められているかどうかで、社会性が育っているかどうかの目安になったりもします。

一方通行でないもの

社会性について書きましたが、人間関係や社会認識など遊びの中でこどもたちが身につけていくには、一方通行のものは適していません。
いわゆるタブレットやスマホで動画を観させたり、ハイテクゲームを一人もくもくとさせていてはコミュニケーションできないのですから
ゲームは通信機能もあるといわれますが、それは別物です。
動画など映像がひたすら一方的に流れてくるのを観る、刺激的で目を奪われその間こどもは静かにしていて、すごく集中しているわ。なんて思うかもしれません。しかし一方通行なのです、その中ではトラブルもおきません。
おもちゃの取り合いや、ままごとの役の奪い合い、鬼を決める時にどうするか?じゃんけんにする?どうする?なんてことも出てこないです。
トラブルがないというのは、一見平和です。
しかし、こどもたちはトラブルの中で人間研究の力がつきます。
〇〇ちゃんは、これやったら怒るよな、こうされたら喜ぶけどこれ以上したら嫌がるな、とか。これ以上わがまま勝手をやったら仲間外れにされて遊べなくなるかも、など全身で感じながら遊ぶことで、トラブル回避の知恵や技も学んでいく機会です。
こういった乳幼児からの積み重ねた経験は思春期、そして大人になってからの適応力に関わってくるといっても過言ではないでしょう。

遊びと学びのふかーい関係

遊び上手は学び上手という事をよく話してきました。ただこの学びというものはテストで100点とれるとか偏差値がどうとか、そういう事ではありません。本当の学力とは何かを考えた時に、私は点数や数字で出るものではないと考えています。大人は点数ででると目に見えるので安心したりするでしょう。反対に点数をみて落ち込んだりするでしょう。
そういった目に見えるテストの為の学力ではなく、深い知性と思考、感性という学びのことです。
ハイテクゲームや動画視聴は先ほど書いたように一方通行なのです。ひたすらこどもは受け身になるわけです。受け身の遊びにどっぷりはまると主体的に遊ぶ力や経験がないまま、学童期になると受け身の学びにつながります。
ただでさえ、現在の日本の公教育の多くは一方的に伝達するような授業が多いのですが、この受け身な事に麻痺してしまうと主体的にものごとを思考するチカラが出てこなくなります。興味のある事を自分で考え調べたりする主体的に学ぶという事になりにくい危険性があるということです。

知育玩具というもの

よく積み木とか木製の玩具に知育玩具と表示されているものがあります。
この知育というワードや時々雑誌などで見かけるこどもが賢くなるおもちゃとか脳がこれで良くなるみたいな文言に私は???となります。
木製玩具は知育玩具という区分分けされるのは納得いかないのです。
私が思う、知育玩具というのは、よく積み木の平べったいものに、あ、とかい、とか或いはA,B のように文字が書かれているものありますよね。
で、あ、のつく物の絵が裏側についているような。
あれ、です。
で、あれで遊びながら字を覚えさせよう、アルファベット覚えさせようみたいな積み木、というか木の板。
ああいうのを知育玩具というのではないかと思っています。
で、それで知が育つのか?ということですが、
そんなわけないやん。と断言したらメーカーに怒られそうですが、私はあの類のものは、例えば積み上げてなにか建造物をつくるにしても、あの、あ、とかの文字や絵が邪魔になって、創造力が広がらないし、使い勝手というか遊び勝手の悪いものという認識です。我が家にはなかったのですが、時々子育てセンターや保育園で置いていいるのを見ると結構がっかりします。笑
字を覚えさせるとか、数字を教える、とかそういった目的でのおもちゃを
はいどーぞとこどもにポイっと与えて、賢くなる、、、なんてわけないのです。おもちゃは想像力や創造力をかき立て一緒に遊ぶことでたくさん笑顔や会話がでるものであってほしいと思います。

世代をつなぐあそびとおもちゃ

15年前も少子化で、と話していたのですが更に少子化が進んでいますね。
日本社会の基盤があまりにも悪くなっている事は少子化の深刻な状況につながります。少子化でお孫さんが出来るとおじいちゃんおばあちゃんは嬉しい事と思います。両方の祖父母がいれば4人の祖父母にお孫さんは可愛がってもらえますよね。かわいい孫に喜んでもらいたいといろんなおもちゃを買ってくれるかもしれません。
最近の子はデジタルよねAIよねと高価なものも早くに買ってプレゼントしてくれるかもしれません。
でも、それはちょっと考えてほしいのです。
お金やもので関係を築くのではなく、昔ながらの知恵や技で勝負してほしいと思います。やはりここでもコミュニケーションがそのものでどれだけ豊かになるかという事が頭にあると大きく違ってくると思います

最近のこどもたちを見て感じる事

12年前までこういったおもちゃや遊びの話をしたり子どもたちや保護者の方々と接することが多かったのですが、その後日本から台湾に行き台湾で5年半生活していました。台湾でも台湾の幼稚園でアルバイトをしたりお子さんと接していたのですが、日本に帰国しまた数年経過した最近感じるのは
コミュニケーションがうまくできない若い人やこどもたちを多く見るようになりました。また、ここ数年不登校の子どもたちが激増しています。日本に帰国して知り合ったりする方々のお子さんが不登校で、と話される方がものすごく多いという印象です。
不登校が悪いとかそういうことではないのですが、こういった現象が気になっています。それぞれに理由がちがうだろうし背景も違うでしょう。
ただ、何が原因なのかよくわからないという親子が多くいる事がちょっと気になっています。無理やり、行けとかそういうことではなく、なにが嫌で、こういう気持ちでというような事がわからないままだと問題の解決にならないように思えて仕方がないのです。無理やり聞き出せとかいうことではないのです。トラブルになった時、それをどう解決していくかというチカラが弱くなっているのではないだろうか、と最近感じています。子どもだけでなく大人も(親も教師も)
乳幼児からのあそびや大人とのかかわりに関連しているのかどうなのかは、研究者ではないのでわかりませんが、ハイテク化で急速にこどもをとりまくあそびやおもちゃが変化していった中で、失われたものはないだろうかというのが、とても気になっています。

今回の話はおしまいです。
また、続きは次回です。




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