見出し画像

まさか自分がここまで来れるとは思わなかった。友達との海外旅行を通して、予測できない未来に人生の醍醐味を知った。

【毎日note】vol.2

ちょっと長めのタイトルになった。でも私の言いたいことが全て詰まっている。人生は予測できないことが多い、と私は思っている。私が統合失調症になったことも、新卒の会社を一週間で辞めたことも、原因不明の頭の悪さで悩まされていることも、過去の自分からしたら「まさか自分が!」と思うようなことばかりだ。

でもそんな予測できない未来にこそ、人生の醍醐味があると私は思う。人生は予測できたらつまらないし、予測通りに事が進んでも面白くない。想像すらしたことのない世界にいつの間にか辿り着くことが私の人生を面白くする。

そんな人生の醍醐味を知れたのは、間違いなく大学生の時にした海外旅行が原因だろう。なぜ海外旅行でそう思ったのか、当時を振り返り、深掘りしたい。

高校生までの自分

ここでまずは高校生までの自分について話しておきたい。私は普通の人間だった。身長も顔も平均より下だと思っているが、成績は悪くないし、運動神経もそこそこあった。だが、1つ問題を抱えていた。常に孤独を感じていたのだ。具体的に言うと、深く親交のある友人がいなかった。

登下校はいつも一人。休日に遊びに行くことも無い。花火大会だって誘われない。部活も途中でやめたし、浅い付き合いはあったとしても、親友と呼ばれる存在は誰一人いなかった。

当時の自分は彼女が欲しかったが、親友も欲しかった。周りの人たちがみな友達と仲良くしているのがうらやましかった。私はコミュ障で自分に自信が無くつまらない存在だと思っていたので、当然友人は作ることができなかった。

そんな高校生の時の自分は、きっとこの先も親友なんてできずに、友達と「遊ぶ」なんてイベントは起きないと思っていた。

大学生の自分

だが話は一変して、大学生になると私を取り巻く環境は大きく変わった。私に友人ができたのだ。学科とサークルでそれぞれ。その中でも今回は学科の仲間について話しておきたい。この学科の友達と海外旅行することになったのだ。

私は大学でも依然としてコミュ障でつまんない奴だった。でも6人の仲間はそんな私を友達として見てくれた。一緒にドライブしたり、酒を飲んだり、恋バナをしたり、映画を見たり、それはまさに私の憧れていた世界であった。ただ金魚の糞ようについていくだけじゃなく、私も仲間の一員として、遊びに参加することができた。それが何よりうれしかった。

そして大学2年の春休み。私たちはスイスに旅行した。スイスのおしゃれな街並みを見て、まさか自分がここまで来れるとは、と私は思った。高校生の頃の自分にこの景色を見せてあげたいと思った。自分に海外旅行を一緒にする友人ができるとは思いもしなかった。

もし未来が予測通りに進むものならば、私の人生は一生親友のできないものだった。それが一変した。これだから人生は面白い。

けど友達と海外に行けたのは、運だけではないと思う。別に無理して友達作りをしたわけではないが、友達の前でも常に自然体でいて、何かしらアクションを起こし続けたからこそ、彼らと親友でいられたのだと思う。

私はスイスでの旅行を通して、予測できない未来の醍醐味と人生は変えられることを知ることができた。

これからの人生

今私は人生の絶不調期にある。人生どん底である。統合失調症にかかり、さらに自分がHSPかつADHDグレーゾーンであるかもしれないことを知り、生きづらさを感じている。精神障害者で無職。大学院卒なのに。

こんな人生になるなて思いもしなかった。でもこれもまた人生だと割り切っている。ここからどうするか。ただ家でダラダラして働かないか、社会人として世界に貢献するか。

このままだと、私の人生はどん底なままだけど、きっと未来は変えられると信じて、これからの毎日を生きるしかない。

今回大学生の頃の自分を振り返り、改めて頑張ろうと思えた。今は友達とは疎遠になってしまったけど、また一緒に遊べるように、私も成長したいなと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?