見えないマント

例えば、普段何気なく利用している通勤電車や通学電車の中で争いや問題が起こったら・・・。

わたしは、何もできなかった。こわくてただじっと見守るのが精一杯であった。
いや、「見守る」ではなく「見て見ぬふり」しかできなかったと言うべきかもしれない。

数年前、大阪の地下鉄電車に乗っていた時の事だった。

車内はそこそこ混雑している時間帯、ある停車駅でひとりの中年の男が電車に乗り込んできた。

丸顔でがたいがいい体つきをしているその男は20代前半くらいの女性が座る横にどかっと腰を据えた。

そしていきなり横にいる女性に

「ねーちゃん、◯◯病院はどうやって行くんや?」

と男が聞いた。

えらいなれなれしいなぁ、とその光景をぼんやり見つめながら思うわたしは男から少し離れた斜め前の座席に座っていた。

「・・・分かりません」

今にも消えそうなか細い声で女性が言う。

その瞬間だった。

「分かりませんちゃうやろ! 何や分からへんて!」

突然大声で怒鳴り出す男。

「おかしいやろ! 何が分かりませんや! 何で分からへんねん!」

体を小さく萎縮する女性に追い討ちをかけるように同じ事を何度も言って怒鳴る男。

なんて理不尽。

きっとこの光景を目の当たりにしただれもがそう思っただろう。

図体も態度もでかい男に怒鳴り散らされる何の落ち度もない女性。

何をしでかすか分からない勢いで男は怒り狂っている。

しかし、わたしも含め他の乗客はみんなその状況を見つめるだけ。

それをいいことに、男はずっとしつこく女性に怒鳴り続けている。

ハラハラドキドキしながら(どうしよう、こんな時はどうすれば・・・)と自問自答していたその時だった。

男から少し離れた場所で立っていた30代くらいの小柄な女性がずかずかと男の方に近づく。

凍りついたその場で何が起こるのかと思ったら・・・

「さっきから大声で怒鳴ったりして、そんな声だして、みんなびっくりしてるやろ」

小柄な女性は、男をなだめるように落ち着いた口調で言う。

男、ぽかーん。

わたしや他の乗客もぽかーん。

「で、どこ行きたいの?」

続けて小柄な女性が男に聞く。

「・・・えっと◯◯病院、どうやって行くんかな・・」

男がたじたじしながら答える。

「ちょっと待ってな」

小柄な女性はそう言うと携帯片手に何やら調べ出す。

「ああ、でてきたわ。◯◯病院は、次の駅で降りて・・・」

小柄な女性は男に携帯を見せながら男が行きたがっている病院への道筋を丁寧に教える。

「お、おおっ!! おおきに。ありがとうな」

途端に優しい口調になる男。さっきまで怒り狂っていた男と同一人物とは思えないくらいの豹変ぶりである。

「もう、あんな風に怒鳴ったらあかんで」

小柄な女性はまるで子供に諭すような優しい口調で男に言った。

「・・・ごめんな。ねーちゃん、おおきに」

申し訳なさそうに謝って早足で電車を降りていった男は最後笑顔を浮かべて優しい顔つきになっていた。

その後、何事もなかったかのように再び平和な車内に戻る。

静かになった車内、わたしはそっと心の中で盛大な拍手を彼女に送っていた。

小柄だけどなんて大きな人だろう。

彼女の背中に見えないマントがついている、そんな気がした。

これは電車の中で実際に起こった勇ましくかっこよすぎる女ヒーローに出会った物語である。

#エッセイ #一駅ぶんのおどろき #電車 #地下鉄 #大阪

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