第2話「回想」
前回 第1話「出逢い」
目覚め
「ねえ、パパ。こでどーゆー意味?」
3歳になった亜衣は、父親の本棚から「実践版 ドメイン駆動の設計」というハードカバー書籍を手に取り、その中の〝LDB”という略語を指差して、IT企業でSEをしている父親に質問した。
「ん?こらー、亜衣、パパの本棚から勝手にお仕事の本を持ち出したらダメじゃないか。これは亜衣みたいな年の子が読むものじゃないよ。読むならこっちにしなさい。」
父親は、亜衣が持って来た専門書を取り上げ、代わりに座っていたリビングのソファの上に置いてあった絵本を亜衣に渡した。
「こで、面白くない。。。」
〝白雪姫”
誰もが知っていて女の子には人気の、可愛いお姫様が毒リンゴを食べさせられて死んでしまうが、王子様の愛のキスによって甦るという、恋愛ファンタジーの金字塔。
「え、亜衣はこのお話嫌いか? カッコ良い王子様に目覚めのチューをしてもらう話だよ? 亜衣にはまだ分からないかな?
まあ、王子様だろうが誰だろうが、亜衣に勝手にチューなんてする輩からはパパが守ってあげるけどね。あはは。」
父親は亜衣の頭にポンポンと手をやりながら親バカぶってそう言った。
「ん〜ん、嫌いじゃないんだけどねー。しゅじんこーのヒメは毒リンゴを食べて1回死んじゃったんだよね?
実は飲み込んでなくてノドに詰まってただけっていう話もあるけど、どっちにしても、ちょー時間サンソがないとノウミソがダメになっちゃうよね?
かといって、リンゴにぬられていたのがマスイとかスイミンのおクスリだったとしたらコキューはしているはずだから、小人たちが『お姫さま、死んじゃったー』ってならないよね?
どっちにしてもミャクはあるはずなのになんで死んじゃったと思ったの?
王子様だって、チューする時に『あれ、ヒフがあったかい。タイオンがある。』って思うはずだし、
亜衣的にはとってもムリがあると思うの、この話。」
亜衣は、そう捲し立てるように言った。
「ななな、何て? あ、亜衣、お前は。。。!? おい、絵理子、絵理子!」
父親は、キッチンにいる母親の絵理子のほうにかけ寄り、何かを話し始めた。
(ヤバっ。パパもダメだったか。。。)
亜衣は少し前にも、一緒に散歩しながら夕暮れ時の空を見上げ、
「ほら亜衣ちゃん、見てみなさい。
1番星よ。お願いごとする?」
と聞いてきた母親に、
「え、あでキンセイでしょ?西の空だからヨイのミョージョーだし。
まあスイセイだとしても、コオリとかチリのカタマリがガスのシッポを引きながら動いてるだけのブッタイにお願いごとなんてする気もないけど。」
普通のOLから、先輩社員だったSEの父と普通の社内恋愛で寿退社をした普通の主婦である母親は、娘が奇妙なことを切り返して来たことに驚愕した。
「ななな、何て? 亜衣ちゃん、あなた。。。!?」
以降、亜衣は自分が〝変わり者である”ということを自覚し、「どうやら学問と呼ばれる類の話は大人でないとしてはいけないらしい」と悟り、おとなしくして来た。
その甲斐あってか、両親には「たまに変なことを口走るけど、普通の家庭の普通の子」という認識をされていた。
この日も父親に対してつい口走ってしまった白雪姫への〝アンチうんちく”について、
「何か公園でよく会う中学生のお兄ちゃんがそう言ってた。」
と言い訳をすると、
「そ、そうか。そんなお兄ちゃんとはもう遊ばないようにしなさい。」
と父親に言われ、何とかことなきを得た。
そんな感じで幼少期から世の中のことを猛スピードで深い部分まで学び理解していく亜衣は、普通でいなければ世界からはみ出してしまうという恐怖心さえ持っていたのだが、
その後に保育園や小学校で出会った奇妙な生き物のおかげで生活がつまらないということもなく、ある意味他人に興味を持って過ごすことはできた。
「アイツら、好きな女子に対してはなぜかイジワルをする習性がある。
さらには、明らかに元気そうなのに急にお腹が痛いと言って保健室に行こうとするくせに、
本当に病気の時は『はぁ!? 全然具合悪くなんかねぇし!マジ平気だし!ぜってぇ早退なんかしねぇし!』ってこっちは何も言ってないのに必死でアピールしてくる。。。
その行動に合理性はあるの? 不合理。実に不合理。。。」
そう、その生き物とは「男子」であり、以降普通の公立小学校を卒業するまでそういう意味では学校生活を大いに楽しみつつも、
いわゆる右に倣えの教育で周囲に合わせることを良しとした価値観が無意識に染みついてしまっていた。
だが、父親の本棚や町の図書館でこっそり読みためた参考書・学問書を通して、小学6年に上がる頃には実質大学卒業程度を修了したぐらいの知識と教養があり、
数学においては学会で発表された論文についてのサイトを自分で見て理解し、特に関数解析の分野においては世界トップレベルの研究者が取り組んでいるような難問にも自分で取り組めるようにまでなっていた。
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身バレ
〝事が公になった”のは、6年生の秋に実施された知能テストだった。いつもの授業内のテストでは、周囲のクラスメイトの出来具合を気にしながら、良いタイミングを見計らって先生の添削の列に並んだりと「普通にしておく努力」をしていた亜衣だったが、
この知能テストでは、ランダムに積まれたブロックが合計で幾つあるか、不規則に見える模様に規則性はあるかなど、クイズのような問題が並んでいることにテンションが上がり、ついつい〝素の状態”で解いてしまった。
後日、母親と共に校長室に招かれ、担任の女性教師・教頭も同席して説明を受けた。
「あのぅ、うちの子に何か問題が見つかったんでしょうか?」
母親が不安そうに聞いたところ、
「いえいえ、お母さん、逆ですよ。亜衣さんに類い稀なる頭脳がある事が分かったんです。いわゆるIQ値でいうと160を超えているんです。
いったい今までどうして分からなかったのか、我々も反省しておるのですが、お母さん、今まで何かそういう兆候はありませんでしたか?」
教頭がそう説明、質問した。
(ヤッバ。あのテスト、そういうデータが出るやつだと忘れてついつい〝普通に”やってしまった。〝普通に”振る舞っておかないといけなかったのに!シクった!)
亜衣はそう思いながら、努めて普通の子を演じようと、母の顔を見ながら「ん〜、分かんない。」という演技をした。
「うちの子にそんな才能があるなんて。たしかに父親はシステムエンジニアですけど、特に名門大学を出たというわけではないですし、私も普通の主婦です。
うちの子が天才だなんて、先生、嬉しいですけど、何かの間違いじゃないですか?」
母親はそう先生たちに答えると亜衣のほうを見て、
「だってねえ、いつもママと一緒にチコちゃんに叱られながらテレビ観てるわよねぇ。」
先週も一緒にテレビを観ながら「ジグソーパズルは何の目的で作られたか?」という問いに母親が
「亜衣ちゃん、あなた分かる?」
と聞いてきたので、
(1760年 ロンドンの地図職人技師ジョン・スピルズベリによって作られた、子供の教育用ツールとしてのパズル型世界地図が始まり。
だけど、、、)
「うーん、分かんない。お年寄りのボケ防止のためとか」
とわざとそれっぽい誤答を言った。
普通の子として普通の生活を送るために、1度見た本やサイトの情報は細かいところまで忘れないという人間離れした特技がバレないように日々生きてきたのに、
なんとその知能を測るテストそのものでボロが出るとは、夢中になると他のことを忘れてしまうという性格が災いしてしまった。
「あのう、もし私が普通でないとみなされちゃったら、もう学校にはいられなくなるんですか?」
亜衣は恐る恐る上目遣いで先生達に質問した。
「何言ってるの、岡村さん、そんなわけないじゃない。あなたは卒業するまで私の生徒よ。うちのクラスの大事な一員よ。」
担任の女性教師が即座に答えた。配属5年目のまだ若い教師ながらに、学生時代にラクロスで鍛えた体育会系のノリと熱い志とで生徒達からの人気は高かった。
「うん、即座に研究室送りとか、そういうことはないから安心しなさい。だいたい高IQの人っていうのはね、人口の2%程度いるって言われていてね、そうするとうちの小学校は全校で600人いるから、うちだけでも常時10人以上はいる計算になるよね。
そういう生徒が発覚するたびに研究施設なんかに送ってたんじゃ、全国でいったい何万人の生徒が〝拐われる”ことになるのか。。。」
校長先生がそう笑顔で説明していると、
「校長、拐われるって言い方何ですか? 生徒ですよ?大事な生徒ですよ!」
と担任の女性教師が熱血ぶりを発揮した。
「分かっとるよ。そんなことはありゃしないって話じゃないか。落ち着きなさいよ、君。」
校長先生はそうなだめると、話を進めた。
「ただね、いくら高い知能があっても、現状〝特別扱い”はできません。何か精神的な理由があって別室登校をするというならサポート体制もありますがね。1人だけ違う教育を用意するっていうのは、、うーん、なんていうか、そのね。。。」
校長先生は言いにくそうにモゴモゴした。
「ええ、先生、仰りたいことは分かります。私も主人も、この子にエリート教育をするつもりはありません。特に私は元気に育ってくれて、そして友達を大事にして、幸せに生活してくれたらそれで良いと思ってるんです。」
母親からは普段聞いたことのなかった娘への想いを聞いて、亜衣は才能を隠してきた後ろめたさが少しなくなった気がすると同時に、普通の暮らしを続けられることにホッとした。
「とにかく、君は小学校はもちろんこれから中学・高校と進むわけだけど、自分のポジションというか友達や先生との距離感を大事にしてね、自分らしくやっていきなさい。困った事があったら何でも言いなさいね。」
校長先生がそう言ってくれたことで「君はIQ的には飛び抜けているかもしれないが、望むのであれば高IQも1つの個性として活かしながら普通の人生を全うすれば良いんだよ。」と言ってくれてるようで救われた気がした。
「先生がた、どうかうちの子をよろしくお願いします。」
母親が深く頭を下げた。
「そうだ、学校の勉強も大事にしてもらうとしてだね。これからの時代はパソコンの知識がもっともっと重宝されるようになると思います。
どうでしょう。亜衣さんには高スペックのパソコンを奮発して買い与えてもらって、プログラミング等の勉強を自分で進めさせてみてはどうでしょう?
亜衣さんが大人になる頃には人工知能のレベルもまた一段と上がって、人間でいう高IQなんて意味をなさないものになっているかもしれませんね。
その時に役に立つのは、そんなに進んだ人工知能を普通の人間達がどうやって生活に役立たせるのか、どうやって精神的豊かさと結び付けて行くのか、亜衣さんたちの世代はそういう課題に現実的に取り組む世代になるかもしれませんね。」
ニコニコしながら教頭先生が言った。
亜衣はこの言葉がきっかけで後に大学では得意な微分積分を活かして人工知能研究の分野に進むことになる。
そして学校生活では、周囲との〝距離感”を大事にしながら教科書の勉強について級友達に教えてあげたり授業中に積極的に発表したりと、「お勉強は出来るけど、どこか抜けていて、男子を俯瞰して観察するキャラ」としてのポジションを確立していったのだった。
(第3話「1日目」)
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