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母になって自分を忘れそうになること

今から6年前、私は子供を産んだ。

自分はきっと結婚して、子供を産んで家庭を持つとイメージしていたけれど、いざ子供を産んだ後、自分のやりたいこと、したい事を見失うほど、子育てに慣れるまで時間がかかった。

もちろん男性も親になれば家族のために時間やお金を使って、自分の好きなことはある程度制限ができてしまうと思うが、母親は産んだ瞬間から3時間おきの細切れの睡眠が授乳期間中は最低でも続き、その3時間おきの授乳でさえ、1時間くらい授乳にかかり(飲ませてゲップを吐かせて、ミルクを吐いてしまったら着替えさせたり授乳の記録を書いたり)おむつを変えて、そして抱っこをしながら寝かしつけをしたり、、、ということで過ぎてしまい、1時間寝れるか寝れないまままた次の授乳の時間を迎える。そしてそれが24時間、何ヶ月も続く。旦那さんが寝ている夜中も一人起きて泣いている赤ちゃんと向き合い授乳する。授乳の一連の流れが終わってもずっと泣いていることもあるし、やっと寝たか。。。と思った5分後に起きることもある。

そしてその方法やみんなが当たり前のようにやっているので大変さが伝わりにくいのだが、新生児育児がブラック企業以上の大変さ、と例えた人がいて、まさにそうだなと思った。寝てない状態で、小さな命を守るという大役、やるべきことをきちんとこなさなくてはならないのだ。


何もできないどころか、生活に必要なトイレ、ご飯、お風呂でさえタイミングを失うとできない。大袈裟と思われるかもしれないが、本当にやっと温めたご飯を食べれたのが2時間後なんて毎日だった。5分のシャワーでさえタイミングを見失うと浴びれない。

成長に伴って、授乳も生活スタイルも変わっていくのだが、また違った大変さもあり、子育てに自分を合わせていくしかなく、望んで産んだから当たり前でしょ、という言葉では片付けられないほどのハードルがたくさんあった。

自分が見たいもの、会いたい人、買いたいもの、行きたいところ、やりたいこと、仕事、全部考え直す必要があった。

見たくても子供が泣くかもしれないから行けない、会いたくても少しの時間でしか会えない、買いに行きたくても遠くて行けない、したくても子供に時間がとられてできない、もっとお仕事頑張りたいのにその時間まで会社にいられないでしょ、どうやって対応するの?と言われたときは言い返すこともできず唇をぐっと噛んで我慢した。

母になっただけで、自分という人はそんなにも制限されなくてはいけなかったんだ、と何度も思った。

旦那さんと半分でやったらいい、と思う人もいるかもしれないが、子供がどうしても母がいい、母でしか出来ないということもたくさんあるのだ。

子供はコントロールできない。一人の意思を持った人間なのだ。

どこにもぶつけられない悔しい涙を何度も流した。

そして、自分を忘れそうになった。

何が好きなんだっけ?

何を大切にして生きてきたのか?

自分という表現ができなくなって、苦しくなった。


来月末、また新しい命が産まれようとしている。前より助けてくれる人も少なく、もっと状況も大変になっている。

それでも自分ができることをもっともっとやっていきたいし、それをやるために何をすれば良いのか少しだけコツやタイミングは6年間で習得できた気がする。

6年何とかやってきて、成長は嬉しいし自分にとって子供は誰にも変えられない宝物であることは間違いないし、子供から教えてもらうこと、自分のしらない自分に出会えたことは何にも変えられない大切な時間だと思う。

毎日1日の終わりに子供に『今日一日ありがとう。私にとって〇〇は宝物だよ。』と伝えるようにしている。

きっと私を育ててくれた両親も同じ気持ちで同じだけ私に時間も気持ちもかけてくれたのだろうと思うと、感謝の気持ちでいっぱいになる。

いつかきっとこの大変な時間をもう一度1日だけでもいいから戻りたいなと思う日が来るかもしれない。夫と思い出話をしながら、楽しかったねなんて言えたらいいなと思っている。


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