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『我は、おばさん』/岡田 育著 感想文

「おばさんキャラ」を面白おかしく語っている”お手軽エッセイ”だと思って手に取って読んでみた。

しかし、開いてみると思ったより分量が多く、お手軽ワード(と思っていた) 「おばさん」について、かなり踏み込んで考察されている。

古今東西の大量の文献や映画などを丁寧にピックアップして、それらに登場する様々な「おばさん」なるものの描かれ方を紹介してくれている。

この本を読んでの気づきは大きく3つある。

まず一つ目は、自分自身が「おばさん」と言う、「自分を含む全女性が人生において担う役割の名称・立場」を、知らぬ間に嘲笑する側に回っていたという愚かさ 。

例えば、中年期に差し掛かった女性を喜ばせるためによく投げかけられる、「まだまだイケる」「いつまでも現役」などという言葉。
これらが自分に向けられると喜び、自らも同年代の仲間に対して賛辞として発していたこと。
これは裏を返せば、「そうでない女は終わり」という認識を共有していたということだ。

二つ目は、著者が冒頭でずばり定義している通り、

「”おばさん”とは女として女のまま、自らの加齢を引き受けたもの」

であるということ であり、「女を卒業したもの」でなはないということ。

これは、「女」を「男性の恋愛や性欲の対象」という狭義で捉えることを、まず私たち女が率先して手放さなければ、周囲に浸透させるのは難しいことだとも思う。

そして、3つ目は、若い世代の女性たちに、真に慕われる「おばさん」の役割は、意外と「子供のいない女」だということ。

母ではないからこそ、客観的な立場から、彼女ら若い世代の女としての社会的な立場での苦悩や、また秘かな関心事などに対して、時にはおせっかいにも見えるが、ある時にはよき理解者になれる存在なのだ。

自分は娘がいるので、どうしても彼女に対しては、「親としての役割」という重圧がどこかにあり、「気軽に相談できるおばさん」的存在にはなれない。
でも、少なくとも、よその娘さんたちには、一見「無責任」にも見えるけれど、「この人の話なら聞いてみようかな」と思ってもらえる1人の「おばさん」になってみたいと思う。

50歳を過ぎ、更年期を迎え、自分の健康や老後のことしか頭になかったけれど、まだまだ「おばさん」なのだから、こういった新たな使命をもらったことをありがたく思い、かと言って「女としてお手本になろう」などと肩肘張るのではなく、「何か楽しそうなおばさん」として、自分たちの明るい未来を想像してもらえる存在になれたらいいなと思う。

40代50代の、「今後の女としての自分のあり方」に悩んでいる女性にはぜひ手に取ってもらいたい1冊だ。


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