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「いつでも話を聞くよ」という〈ボタン〉

前回の記事で、『オプションB』という本の書評を書きました。
その中で、

悲劇を体験した人がいると、その周りにいる友人や職場の人たちは、声をかけにくい状況ではあるだろう。でも、当人は、腫れ物に触るような扱いをされるより、「気持ちを聞いてもらいたい」と思っているかもしれない。
だから、あえて「気分はどう?」などの優しい一声をかけてみてほしいし、自分も逆の立場になったらそうしたい。

と書きました。
このことにさらに補足しておきたいことを今日は書きます。

この本の中で、ある、ストレスに関する実験が紹介されていました。
ランダムな間隔で発せられる不快な騒音を参加者に聞かせて、集中力が求められるパズルなどの課題に取り組んでもらうというものです。
参加者は汗をかき始め、心拍数と血圧が上昇して集中力も途切れミスを連発します。
この時に、一部の参加者にだけ、「ストレスを軽減するための逃げ道」を与えていました。
「騒音があまりにも不快になったら、ボタンを押して音を止められる」と教えたのです。
そうすると、ボタンを与えられた参加者は、その後冷静を保ち、ミスが少なく苛立ちを見せることも少なかったということです。

この実験で一番驚くべきは、「実際にボタンを押した参加者が一人もいなかった」ということです。
騒音を止めたからストレスが減ったのではなく、「騒音を止められる」という意識が違いをもたらしたのです。
つまり、参加者はボタンを与えられたことで、「自分で状況をコントロールできる」という意識を持つことができ、結果、ストレスに耐える力が高まったというのです。

同じように、苦しんでいる人には〈ボタン〉が必要なのです。
「苦しくてたまらない時には話を聞いてくれる友がいる」
という意識=〈ボタン〉。

他人の痛みに接した時に人が持つ感情には2種類ある、と著者は言っています。
「共感」を感じて相手に手を差し伸べようとするか、「苦悩」を感じれば相手を避けようとする 。

私は後者も悪気があってのことではないとわかっているし、「何と声をかけたらいいか」がわからず、という理由もあると思います。
私が主人を亡くした時も、両方の反応(対応)を受けました。
前者には感謝し、後者には申し訳ない気持ちになりました。
私には前者=「〈ボタン〉をくれた人」が少なからずいたことは本当にラッキーであったし、そのおかげで、実際〈ボタン〉を押させてもらったこともあるし(;^ω^)、その後短期間で押すことがなくなったのも、その〈ボタン〉をずっと握りしめていられたおかげだと思います。
この経験からも、やはり、悲嘆に暮れる人がいたなら、私は〈ボタン〉を手渡したいと思います。


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