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「障害者」「健常者」という呼び方問題について~健常者編~

こんにちは!まこです。

前回は新シリーズの第1話として「障害者という呼び方」について僕なりの考えを書いてみました(以下↓↓リンクです)。

今回はその続編として「健常者という呼び方」について僕なりの考えを書いていきたいと思います。

1.区別する表記上での「健常者」

普段よく聞く「健常者」という言葉。
何気なく使っている方が多いのではないかと思います。

でも僕にとって「健常者」という言い方は、それこそ「障害のある人」に比べて「優生的」な表現であるように感じてしまいます。
まぁ二元論的に考えてしまっている僕に非があるのかもしれませんが…。

もちろん「障害者」とは区別して呼ぶ必要があるので、あくまでも区別する・分類するための一表現として使われるのであれば理解できます(とは言え色々と引っかかる部分はあるので、それは以下で説明します)。

2.ほんとに「健常」と言い切れる?

ただし、自分自身のことを「健常者」と呼ぶ人はあまり好きではありません。
好きではないうえに「よくそう言い切れるな…」と感じてしまいます。

「健常とは言うけど、あなたにも何かしら1つや2つ問題はあるでしょう」
と思っちゃうんですよね。

何をもって「健常」とするか――その定義をどうするかによっても異なってくるとは思いますが、よくもまぁ「私は健常ですよ」と言えちゃうなぁと思うんです。

だって心身のどこにも疾患のない人なんてまずいないと思いませんか?
言っちゃあ悪いけど「自分さえ良ければそれで良し!」みたいな頭に難ありな人もたくさんいますしね。
身体に疾患がないことは客観的に測定できますが、心に何の問題もないなんて自分でわかるのか?誰も傷つけたことがない人なんて実在するのか?と。

それこそ「私は健常です」と自信を持って言える人、面と向かって相手に言える人ほど、自分では把握しきれていない何かしらの問題を抱えているんじゃないのか?と思っちゃうんです。

少なくとも僕は、仮に今身体に障害がないとしても、自分が健常だなんて口が裂けても言えません。
内面に問題がありありなことを痛いほど理解していますから・・・笑

形式上としての「健常者」には理解を示せますが、自分を表現する上での「健常者」という言葉には不快感が募ります。
そしてすんなりこの言葉を、自分を表現する上で使えてしまう人は、心のどこかに「障害者」を自分の下に見ている節があるような気がしてなりません(自分の経験上からもそう思えてしまうんです)。

3.僕なりの「健常者」の呼び方

なので僕は「一般の人」「普通の人」と呼ぶことにしています。

「障害とは言えないけど、何も問題がないわけではない」
僕にとってはそれが「普通」だからです。
心身のすべてが健常な人なんてレアすぎる。

いやでも「健常と何が違うんだ!」と思われるかもしれませんし、じゃあ「一般」「普通」の基準って何?とも思われるかもしれません。

これに対して端的に答えるならば、僕が考える言葉本来の持つ「意味」「イメージ」の違いです。

「健常」という言葉は「常に健やか」と書くわけですから、上でもお話した通りやはり「何も問題がない状態」を示す言葉だと思うんです。

それに比べ「一般」や「普通」といった言葉の意味はあまりにも広義にわたるため「こういう意味です!」と断言することはできませんが、それでも人間に当てはめて考えるならば「良いも悪いも含まれた言葉」だと思うんです。
逆に考えるならば「特別ではない」ということです。

僕を例に説明すると、僕には両腕がありません。
でも特別な事情がない限り「一般」「普通」の人には両腕があります。
そういうことだと思うんです。

4.極端なたとえになりますが…

あるいは全く別の角度から、それこそ少しぶっ飛んだ例え話をしますが、みなさんはこれまで「自分の腕を切り落としたい!」と思ったことはありますか?

もし「ある」と答えた人は、それはもう何かしらの異常を抱えている人だと思います。
少なくとも「健常」ではありませんよね。

だからこそ、身体的にその人は「健常者」であったとしても、内面まで含めて考えるとその人は「健常者」ではないんです。
まぁこの場合はあまりにもぶっ飛びすぎてて「普通の人」でもないんですけどね。笑

5.「普通」って何?

たまにこうした「一般」「普通」の話になると「じゃあ普通ってなんですか?」と聞かれることがあります。
正直「めんどくせぇ」と思っちゃいますが。

シンプルに考えればいいのではないでしょうか。

つまり、ある分野において圧倒的多数を誇る物事が「普通」でいいと思います。
俗に言う「常識」ってやつです(「常識」がおかしいことも多々ありますが)。

そもそもプラスイメージの先行する「健常」とは次元が異なる言葉です。
分野や考え方によっては「良いも悪いも含まれる」のが「一般」「普通」なんです。

だから僕は、一般的にはよほどがない限り「どの人にも何かしらの問題はある」と思っています。
でも、だからと言って「障害がある」わけではない。
だからこそ「障害のある人」と線引きをして「一般の人」と呼ぶことにしています(めんどくさい人間なのは承知の上です笑)。

6.すぐに障害名を付けたがる風潮

自らを冷静に見つめ直してみると、
「私は心身ともに健常者です!」
と自信を持って言える人はあまりいないんじゃないかと思います。
いや、ごめんなさい。
僕に言わせてみればそんな人ほとんどいないです<m(__)m>

だからと言って、じゃあそれは障害かと言うとそうでもない。

最近は何かと「障害」と言いたがる風潮があるように思われますが、正直この風潮にも辟易としているところでして。

もちろん障害もピンキリというか、上から下まで程度の差こそあると思いますが、だからと言って何でもかんでもに障害名を付けるのは、重度障害のある身としては「えぇ…それってどうなん…」と感じざるを得ないというか(´・ω・`)
何だか複雑な気持ちになってしまうのが本音です。

7.まとめ

こう考えていくと、「健常」と「障害」って白黒ハッキリし過ぎているようにも思えてくるんですよね。

社会には白でも黒でもない「グレー」な部分がたくさんあるわけじゃないですか。
いや、むしろグレーゾーンが多かったりもする。
となると、いわゆるこのグレーが「普通」に該当するんじゃないかなと思うんです。
白でも黒でもなくそれらが入り混じった、つまり良いと悪いが入り混じったもの。僕からすれば「健常者」なんてほとんどいないし、かと言って「障害者」も数は限られてくるから、その中間にあたる大勢多数の人はやっぱり「普通の人」と呼ぶのが一番しっくりくるんです。

これが結論です。

うん、今回は我ながら良い感じにまとめられました。笑

次回で当シリーズも完結です。
最終話は「言葉選びのセンス」について書いていこうかなと思います。

それでは今回はこの辺で。
最後までお読みいただきありがとうございました(`・ω・´)!

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