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断想:声と文字


わりと早口でべらべら喋るくせに、活舌が良くなく、とくに電話などでは聞き返されることが多くて。それと喉が弱いのか、発生方法の問題なのか、ちょっと熱弁()するとすぐに声を枯らすのです。

何年か前、ボイトレ教室に通ったことを思い出しました。私が受けたレッスンは、社会人向けビジネスコース。つまりプレゼン等でうまく、きれいな言葉を届けるためのものです。いつのまにか飽きて、辞めてしまいましたけど。

と、そんなこともあって声を生業としている方へは常々尊敬の眼差しを向けています。

もう少し自分語りを続けます。私のなかで失われた15~20年というのがありまして。

音声でも文字でも表現をすることは生まれつき好きだしそれをやってないとしぬので、ずっと続けていた…かったんだけど、学生時代からつい最近になるまで表現活動をぱったりと休止していたんですよね。よく言えば、モラトリアムボヘミアン創作活動から目を背けて、生産的社会的家畜として世の中へ奉公してきたつもりです。

ところがなんだか、歳のせいか妙に社会的には落ち着いてしまってですね(実際はメンタルがアレなので、毎日そわそわしてますが)。コ口ナ禍に伴い友人から紹介されたnoteで表現の活動を再開したという次第です。またここでも書いていますが、喋るほうの活動としてR-1グランプリにも2年連続でエントリーしていて(※なお結果)、今年もする予定です。

さて得意不得意あるにしましても、書いたり喋ったり、すごく楽しいですねどちらも。表現の最中はアドレナリンが出ます。快感です。ただひとつ決定的に違うのは、自分のなかでそれに対して自信があるかどうか、だと考えます。

1.思ったこと/感じたこと

2.適した表現方法を選ぶ

3.その表現に合わせてカタチを整える

4.発表

創作物のつくられる過程はざっとこんな感じだと思います。そして私の場合、4番のところが非常にやっかいなんです。喋りに自信がありません。声、話し方、などなど。いまなら素人でも音声配信などいくらでもできるのですが、やらない理由はそれなんですね。

元々がコメディ脳なので、なんらかの”面白いこと/興味深いこと”はたいていそっち方面に転がすのですが、最終的な表現方法としては文字媒体のほうが生き生きできるといったわけなんです。

ゆえに現在に至る、というと甚だ簡単ではありますが、言ってみればそういうことです。はい。

このあと続けて綴ろうとすると、コメディ批評につながっていく気がします。一次創作と並んで、自分がやりたいこと、生涯のライフワークにしたいことがこのコメディ研究(批評)なのです。

今回お題を募って、まさかエッセイのリクエストをいただくと思わなかったのですが、非常に良い機会となりました。まだまだ考えを掘り下げれば広がっていきそうなので、書けたら書きます。


虹倉さん、ありがとうございました。

もしかしたら虹倉さんがお求めになっていた方向と違う文章かもとも思ったり。声と文字の違いについての考察をしようと試みましたが、だいぶ荷が重く…

あぁそれと、虹倉さんにお読みいただいた拙作のシリーズも載せます。素敵な声の使い分けに鳥肌モノですよ。

それでは、みなさんごきげんよう。






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