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断想:冷蔵庫の残り物でなんとかする話


落語家さんというのは、馴染みのない方にとっては年に一度見かけるかどうかでしょうか。あるいは笑点をご覧なのであれば日曜だけ週一回。

ところがあのひとたち、一部を除いてほとんどが、年間300日は人前で落語や小噺を披露しているようなんですよね。テレビで落語が放映される機会っていうのはめっきり減りましたけど、ホールでの落語会や老人ホーム、学校、刑務所の慰問などは相変わらずあり、なにより寄席と呼ばれる365日落語をやっている場所がこの国にはあるんですから。

笑点の司会でお馴染み、いまや落語芸術協会の会長でもある春風亭昇太 師匠の落語会でのマクラ(落語本編に入るまえのフリートーク、雑談、ネタ振り)が、これは日々noteで作文を綴るわたしの脳裏にこびりついていますので紹介させてください。

昇太師曰く…

噺家(落語家)のする落語ってのは母親の手料理なんかといっしょで、冷蔵庫のありものでおいしく簡単にいかに作れるかっていうことなんですよ。さいきんね、本業が俳優さんだったり歌手だったりする方が落語に挑戦なさってるのを目にするんですけど、ずいぶんと気合いが入っていて、それは結構なんですが、一点集中というか融通がどうも利かないでというか…料理でもそうですね、普段料理をしない方に限って何かの拍子で目覚めると、具材から選りすぐって調理器具も高いのを揃えたりなんかして…でもそうじゃないんです。落語なんてそんな気合い入れてもね。みなさん楽しんでもらうにはその日、みなさんの目を見て、雰囲気を感じてどんな話なら喜んでくださるかっていうのをね、その場で選んでお話するわけですよ。もちろんその分、話のレパートリーは必要とされますけど…
とある日の春風亭昇太 師匠の高座マクラを甘枝回想のもと述する

noteで執筆活動を始めるだいぶ前に聞いた高座なのですが、ずっと記憶に残っていて、それこそ毎日ショートショートなど書いているとほんとにこの境地を目指さないとなっていう風に思うんです。

一流の料理人を目指すんじゃなくて、ウマイ飯をつくる母ちゃんでいいんだなと。あぁその、家庭での料理の役割は女性と決まって~みたいな話はしないでくださいね。そういうことじゃないですからね。

最近では料理の代行もあって頼んだこともありますけど、ほんと適当な食材から美味しい料理を作ってくれますよね。感動します。充分プロとしてそういうのが成立しているなあって。

そんなことを日々思いながら綴っている甘枝ゆとりでした。ちなみに普段書き置きをあまりしない(意外と文章にも鮮度ってあるし、何より書くのも疲れるので)私ですが、思うところあってきょうはこれで3本目の執筆です。だからこの文をお読みいただく前に、いったん冷凍します。

ということで、きょうは何を食べよう。残り物でいいか。









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