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大変だったはずの学校で、彼らが私を育ててくれました。

退職してから、平日の日中に車を走らせることが増えました。

車窓から見る景色はとても新鮮で、長年いかに色んなことを見過ごしたり気づかないまま暮らしたりしていたかを痛感します。

ただただ目の前のことに必死だった年月を悔いているわけではありません。

あの頃があるからこその今なのだから。

田舎だけど落ち着きのある美しい街並み、
近くに遠くに目に映る豊かな自然、
身近なのに疎遠でいた優しい人たち…

ふっと肩の力が抜けて、ようやく見えてきたものを一つ一つ噛みしめる毎日です。

今日、15年前に勤めていた学校の近くを通った時、懐かしい制服姿を見かけ、急に熱いものが込み上げてきました。

ゆっくり車を停め、ハザードランプを点滅させて、私は久しぶりに校門から昇降口、自転車小屋、校庭、体育館、そして校舎…と視線を移しました。
(残念ながら、私がいた保健室は見えない場所なのですが)

目で追った全ての場所に、色んな思い出があります。

すっかり忘れていたたくさんの出来事を、一瞬で思い出しました。

友達とのトラブルから荒れ狂って飛び出そうとする子を必死に抱えた校門。

誰かに隠されたらしい靴を、あたりが暗くなるまで一緒になって探し続けた昇降口。

ヤンチャ君たちが捨てたタバコの吸い殻を、毎日ひとつも残らないよう同僚と掃除した自転車小屋。

「動けません!」の知らせに、何度も担架をかついでケガ人を迎えに行った校庭、体育館。

毎日毎日バタバタ走りまわった校舎…。

毎朝健康観察簿の回収にまわった全教室
学級に入れない子が過ごしていた相談室
美術部の副顧問だったから美術室
度々色んな事件現場となっていたトイレ
夜な夜な担任と相談を重ねた職員室
数々の報告に駆け込んだ校長室

階段は飛んで降りません!って何度指導しても、走って転んでケガをして…その度に現地まで迎えに行って、叱りながら抱えて歩いた廊下

そして数えきれない思い出が溢れる、保健室。

休養コーナーには病人が寝ており、
処置コーナーではケガ人が手当てを受け、
真ん中のテーブルにはエスケープ組、
奥のソファでは悩み事の相談…

青春はいつだって同時進行。
「ちょっと待ってね」は通用しません。

保健室に養護教諭はひとりなので、冷静に全体の状況を見極めて対応の順番を考えたりはするわけですが、子どもたちにとっては、自分の今が一大事!

あの頃は、体も心もフル稼働で生きてたなぁ。

緊張感・疲労感ハンパなかったけど、達成感もスゴかった。

そして何よりしみじみ思うのは…

30年の教職人生の丁度折り返しにあたるこの学校に勤めた数年間が、私にとってのターニングポイントだったということ。

ある程度の経験を積んで少し自信を持った頃、そんなものはここで出会った子どもたちに簡単に砕かれたのでした。

指導が通らない、
気持ちが行き交わない、
まず同じ土俵にさえ立たせてくれない…

でもあきらめず、あきらめることなく、
ひとりひとり、またひとりと向き合って、
希望を捨てず、目の前の子を信じて、
毎日学校へ、保健室へ行く。

私を育ててくれたのは、紛れもなく彼らでした。

教職人生の後半、様々な困難に立ち向かうことができたのは、彼らに鍛えてもらったおかげだと感謝しています。

不思議なもので、あの頃の教え子ちゃんたちと、今でもやりとりが続いているんですよね笑。みんな、立派になってます。

雨上がりの美しい緑の木々の下で、制服姿の生徒さんたちが楽しそうにずっとお喋りしています。

私ったら、どんな顔をしていたんでしょうか。

あちらの方からニッコリ笑って大きな声で
「こんにちは〜!」
と挨拶してくれました。

学校って、素敵。子どもって、かわいい。
なんだか、祈りにも似た気持ちで会釈をして、あわてて車のエンジンをかけました。










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