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私だけ、いつまでたっても親心…苦笑

自立してすっかり大人になった娘が、ここのところ幾つもの試練と向き合い、越えていく姿を目の当たりにしました。

どんなに離れて暮らしていても、いつまでたっても我が子はただただかわいいものです。

詳しい様子が分からないのに、居ても立っても居られず、やみくもに心配してみたり、変な応援をしてみたり…。

我ながら全く効果的でないことを痛感しては、自己嫌悪に陥っていました。

一方、娘はというと、そんな私の気持ちを知ってか知らずか、常に淡々と粛々と自分のすべきことを静かに重ねておりました。

そして昨日、どうやら娘は試練のひとつを乗り越えたようです。

私はまるで自分のことのように安堵し、体中の力が抜けていくようでした。

「がんばったね!よくやったね!」
そう言って頭を撫で抱きしめそうになった手を、私は慌てて下ろしました。

それほど目の前にいる娘は、凛と立っていたのです。

守りたい、支えたい、助けたい、褒めてあげたい…親心は永遠です。

でも。

子どもは、いつまでも子どもじゃない。

大切な存在だからこそ、我が子が考え選び歩む道を尊いものとして、親は大きな心でそっと包むことが大事なのかもしれませんね。

保健室の先生をしていた頃、たくさんの保護者さんが子育て相談においでになりました。
「先生は、本当に子ども心に寄り添ってくださいます。」
「先生は、すごく親心を分かってくださいます。」
こんなふうに言ってもらって、私自身、なんだか結構「理解がある人」みたいな錯覚に陥っていたかもしれません。

とんでもないことでした。
我が子の歩みを理解することも、親としての役割を果たすことも、なんと難しいことでしょう。

親はいつだって、子どもによって、親にしてもらえるものなのかな…。

子どもが幼い頃は、目の前にいる愛おしい存在に対して、ただただ惜しみない愛を注げばそれでよかった。でも。

やがて思春期になると状況や関係性が大きく変化し、そして子どもは大人になっていきます。

親だけ変わらないままでいたなら、どこかで歪みも生じるでしょう。

変わらないもの。変わっていくもの。
変わるべきこと。変えぬこと。

変化を受け入れ、広い心で柔軟に対応する…変わらぬ愛をもって。

親業は、永遠のテーマです。

常にどっしり構えて、娘のすべてを大きく見守る夫を横に見ながら、いつも一人であたふたしている私です。

成長できず…。しゅん。
ごめんね、娘。
でも、これが私です。
まだまだ先の長い人生の中で、私たちなりの素敵な物語を綴っていけたらいいなと願うばかりです。




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