教室運営してるからみえてくる【家庭の対話について思うこと】

どう言語化するか悩みますが
子ども達が大半の時間を過ごす学校という社会。
やはりここも社会の縮図で
沢山の理不尽やジレンマ、イジメ、イジメの手前のいじり
そんな中に身を置いています。

年明けから、
ME-Laboで私が子ども達を直接みることは
ほとんどしていなく
(教室にはいるけれど)
2コマだけみてるんだけど
その1コマは
自然と道徳の授業化していくという…

最初は普通にそれぞれの課題をしているんだけど
学校であったあんな話やこんな話をし始め
次第に全員が参加し
いつのまにか円陣になってるという😂

コロナになってから
少し休んだだけで
コロナだろとからかわれたり
筆箱隠されて
雪山から出てきたという友達の話や
勝手に筆箱開けてペンのインク無くなるまで
落書きされて床にペンを投げ捨てられてる友達の話
友達を順番にハブにしていく話
私がリーダーなんだから私に従いなさいという子
などなど
学校以外でも
習い事で先生に叩かれる話
などなどあまり書けないけど
そして
昔からあるけれど
なかなかな毎日を過ごしてるなと。
「大変だね」
と私が言うと
「これが普通だから大変ではない」
という子ども達

そして
「どうしてそういう言動になるんだろうね」と
聴くと
なんて言ったと思いますか?

「多分ね、家で話を聞いてもらってないんだよ」

子どもたち。

「あと、友達がいない子」
と。

本当にそうなのか
確かめようがありません。
ただ
どきっとしますよね。

とくに小学校6年間は心も身体も大きく成長する時

そして社会の擬似体躯をする時期でもあるから
揉めて当たり前。
現に中学生に聞くと
「あー、そーいうのはもうないですね」
とみんな言う。
ただ
違う課題を言っていた。

教室をしていて思う。
塾は確かに、点数を上げることも使命である。
だけど
社会にでて
点数ぶら下げて仕事なんてしない。
人として相手を思いやる話ができる人間を育てていかないと
社会全体が疲弊しちゃうなって。
相手を思いやるって言葉にすると簡単だけど
相手と対話するってことを
家庭内で経験してないと
簡単には出来ない。
だからコーチングを多くの方が学ぶんだと思う。
そして
歴史や地理、それによる文化を知ることが必要だから
だから学ぶんじゃないの?!!
と。

コーチング講座の依頼を頂くのですが
時間的に難しく
お断りしています。
私が学ん江藤真規先生のマザーカレッジも6月コースあります。

対話するマインドとやり方
   +
子どもが学校でする勉強の根っこをはじまりからのストーリーで学び直す
ママの為の教養リテラシーアカデミーも
やっています。

が、まずはお子さんと
確認事項ではない会話を
してみてほしいなと。

長々となりましたが
お付き合いくださった方に感謝します。

子ども達にも自分にも
今日も沢山のハグを
してあげてください💖


************

教育コンシェルジュ 渡邉真琴

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?