観劇日記『橋を渡ったら泣け』~劇団ふぉるむ~

今回は縁あって劇団ふぉるむさんの夏公演にお邪魔させていただいた。

劇団ふぉるむさんの舞台を観るのは2回目。
初めて観劇したのは去年の秋公演だった。

会場であるフレンテホールは地元スーパーが入った建物の一番上にあり、私は小学生の頃ここでピアノの発表会をしたのを覚えている。

気軽に借りれて発表会から劇まで出来る多目的なホールだ。

多目的とは言うけれど、客席は映画館みたいな椅子が設置してあったり手作り感は少ない印象。ちゃんとしたホールって感じがする。

私は客席に入る時…細かく言えばホワイエから舞台に入る瞬間の匂いが好きで「あー、舞台に来たな」って思う。熱気と緊張と絨毯と埃が籠った匂いがする。

以前の秋公演の時もこのフレンテホールだった。

難しい空間だなって思うのは、天井がしっかり高いからどうしても上が空っぽの印象が付いてしまう。
階段とか段差でその空間を埋めてしまいたいけれど、大道具大変だからなかなか手が出せないだろうし。

今回もそのぽっかりした感じは埋められてはいなかった。


高校生の時尼崎のピッコロホールや伊丹のアイホールなどで公演をさせていただいた事があるが、その時もそれが大変だった。ただ、あの時は劇場の人が箱馬だとか高さを出す工夫とかをしてくれていたおかげでその差を少しだけ埋めることが出来た。
当時はその有難みがイマイチ分かっていなかったけど、今はすごく貴重な体験をさせてもらったんだな、とつくづく思う。


今回の戯曲は土田英生さんの『橋を渡ったら泣け』。
私は大学の時、劇団MONOに所属している水沼健先生の授業を受けていた関係からよくMONOを観に行っていた。

水沼先生は普段良い声でボソボソっと喋ったりひひひと笑ったりする方だが、舞台では全く別人で二枚目も三枚目も演じてしまわれるから最初ギャップに萌えていた記憶がある。

土田さんの描かれる人間模様も面白くていつも元気をいただける。


そんな土田さんの戯曲の舞台。


劇団ふぉるむさんの秋公演はとても面白かったからどんな舞台になるのか少し期待していた。

「期待していた」、なんて書いたらそうじゃなかったんかい?という感じに思われてしまうかもしれない。
そー…ではないけど、残念だったのは確か。

私にとっても戒めのようになって、そういう意味で観てよかったし素晴らしい舞台だった。


少し辛辣になるから書こうか迷ったけど、せっかく勉強になったから文章に残しておこうと思う。


まず、最初の登場シーンから…
一発目のセリフから…


役者の不安がダイレクトに伝わってきた。


立ち姿がフラフラと揺れていた。あそこだけ微弱の地震でも起きているのだろうか…。
お相手が出てきてもお相手の方もフラフラと揺れていた。


これは、高校演劇でよく見た立ち姿だった。


緊張と不安で居心地が悪いって体が言っているサインだ。 


そこで直感的に(これは、もしや稽古不足なのでは?)と思った。


役になりきれない状態で舞台上に上がっている。


よく舞台の本番が近くなったら夢でセリフも知らない舞台に立たされて本番を迎える悪夢をよく見た。
あれに近いような気がした。


結果、そうであった。


舞台中盤になっても終盤になっても役者同士セリフが被る。セリフの細かいところを間違える。

私はここで強烈に感じたんだけど、アドリブは公演中起きても1回が限度。有りすぎると見てる側に気づかれる。なぜなら、毎回同じ間になるしそもそもチョイスした言葉がその舞台に合っていない。

土田さんの戯曲はプロの文章、プロのセリフ。
だから、不安な役者が曖昧なセリフ回しをして変えると世界観にヒビが入ってお客さんはそのヒビから現実に引き戻される。

現に私は30分くらいから舞台の照明が客席まで明るくしていることに気がついて(これ、客電ついてる?めちゃくちゃ明るいけど最初からこうやった?)とやたら上見てしまった。


早々に土田さんの戯曲舞台を観るのを諦め、ただひたすらに無事に終わることを祈った。

祈ってはいたが内心観ていてかなり憤りを感じていた。
大好きな人の戯曲でこんなことになるってひどいなって思った。これでお金を取るなんてどんな神経してるんだろうとも思った。3000円だぞ、3000円!

見える範囲のお客さんの数を数えて収益を計算するくらいには飽きていた。


ホワイエではスタッフさんの咳の音が「ゲホゲホ、ゲホゲホゲホっ!」と公演中定期的聞こえてきて(ここ壁薄いんやなぁ。何詰まらせたんや、さっきから。)とスタッフさんの気遣いの無さにもムカついていた。おそらくスタッフさんは聞こえていることにそもそも気づいていないんだろうな…。


カーテンコールもほどぼとに客電がついて真っ先に席を立った。

役者たちの達成感たっぷりの空気を感じたくなかったから。
やりきった、乗り切ったみたいな雰囲気はあのときの私には糞食らえでさっさと会場をあとにした。


そうして階下のミスタードーナツで途中退席しなかったご褒美にドーナツを4つ買って帰った。


昔の私ならもっとずっと怒っていた。
でも今やそんな大袈裟なことはしない。
ただただ私の中に湧いた感情をゆったりと見つめると大事な事が分かり、これが今回の観劇での最大の学びになった。


その学びとは、人は当たり前になるとこなすようになるってこと。


劇団ふぉるむさんは毎年2回公演を打つらしい。それはとっても素晴らしいことだけど、それが当たり前になっている、恒例化している気がした。
客席にはもしかしたら関係者やご家族の方ばかりだったのかもしれない。

まるで発表会、学芸会のような舞台だった。


戯曲のおかげでどうにか持ちこたえた感じがある舞台だった。



見てる最中、私のこれまた大学時代お世話になった松本修先生の野太くてよく通る怒号が聞こえてくるようで…

竹内銃一郎先生の独特なィッシシシシって笑い声が聞こえてくるようで…。

いろんなトラウマを掘り出しながらも、一線で活躍している彼らに出会う事が出来ていたあの時代をもっと活用できたらよかったなって心底思った。


当たり前だったから、全然気が付かなかったよ。


劇団ふぉるむさんを次見に行くかはその時の縁で決めるけれど、この舞台は私に大切なことを色々と教えてくれた。
反面教師ではあるけれども、見に行けてよかったなぁ。

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