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森のようちえんから学んだこと


先日、長女が森のようちえんを卒園しました。
長女は年中から2年間、森のようちえん虹の森という、園舎をもたず基本的に毎日外で過ごすようちえんに通いました。

森のようちえん虹の森
https://www.nijinomori2012.com/

晴れの日はもちろん、雨の日はカッパを着て、雪の日はスキーウェアを着て、外で遊びます。
ひたすら外で過ごします。

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そんなようちえんに通って、私自身もたくさんのことを学びました。
2年間の思い出を交えながら、noteに書き留めておこうと思います。

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1.自分軸をつくる

森のようちえん虹の森で大切にしていることの一つに「自分の軸を育てる」とあります。
おかげさまで、長女は自分軸をもった子になりました。
「私は○○をしたいから△△はしない。」と決めて、一人で違う遊びをすることもありました。
最初はみんなの輪に入れないのかな?と私はソワソワしていましたが、そうではなくて、長女は自分が今やりたいことをやっているというただそれだけ。
また「あなたはそうなのね。」と相手を自然と受け止めている。そんな風に感じます。

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↑森のようちえん虹の森の入園要項より


2.自分で考えて、自分で決めて、その結果を自分で受け止める。

どうして自分軸をつくることができたのかというと、ようちえん生活で「自分が何をしたいのか」を考えていたからだと思います。

毎朝「今日はどこに行く?」からようちえんがスタートします。
森に行くもよし。
原っぱに行くのもよし。
街の図書館まで行くのもよし。
自分で決めることができるのです。

正直、自分で決めるって大変じゃないですか?
誰かに「はい、今日はこっちだよー」と決めてもらって「はいはーい。」と着いていくほうが楽なときもある。
けれど、長女は毎回どこで何をするか自分で決めていました。
いや、めっちゃ頑張ったね、長女よ。

そして、自分で決めたことの責任を自分で受け止めることにもなります。
風が強そうな日。私が思わず「これも着ていったら?」と上着を渡すも頑固として着て行きませんでした。
そして、そのことをようちえんのスタッフさんも了承してくれました。(森のようちえんでは、"先生"ではなくみんなニックネームで呼びます。)

しかし、やはり寒かったようで、次の日からは自分で上着を持っていき、さらに中に着る服も追加していました。
自分で決めた結果、寒かったので、自分の判断で次の日の服装を決める。
このことをきっかけに、ある程度の判断は長女に任せるようになりました。

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3.待つことの大切さ

森のようちえん虹の森では、やりたいことはとことんできるし、やりたくない気持ちも尊重してくれました。

毎週月曜日は畑クラス。私も一緒に参加して畑の作業をします。
年中の最初の頃は、畑作業にほとんど興味をもたず、土で遊んでみたり、溝にいるザリガニを探してみたり、暑いーとウダウダ私に言ってみたり。そんな時間ばかりでした。
しかし、そんなときもようちえんのスタッフさんたちは、「ダメ」も「ちゃんとしなさい!」も一切言いませんでした。
ただ「次は種蒔くよー!やる?」と、次の作業について声かけ。
その声かけで少しずつ畑作業をするようになり、今ではすっかり畑農家さんのような姿になりました。

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↑小麦の出来具合をチェックする長女。

これは、長女のタイミングをひたすら待ってくださったスタッフさんのおかげです。
無理に作業をさせるのでもなく、しかしちゃんと声かけをすることで、興味をもつきっかけを作っている。素晴らしいなと思いました。

子どもは待ってもらえることに愛を感じるそうです。
余裕がないとつい「早くして!」と言ってしまったり、「何でまだこれができないんだろう。」と悩んでしまったりします。
しかし、子どもたち一人一人、その子に合ったタイミングがあり、それを待つことのできる大人でありたいなと思います。


4.特別なこと、特別な日なんてない

これは、長女や森のようちえん虹の森に通っている子どもたちに教えてもらったことです。
子どもたちは、"今を生きている"、"今を楽しんでいる"とつくづく思います。

目の前の虫に夢中になってひたすら追いかける。
ただただ土を掘り進める。

ようちえん最後の登園日も、大人たちは最後かぁとしんみりしていましたが、長女はいたって通常通り。
先日の卒園式に来てくれたみんなも、すぐにいつも通りの様子。
「今日は特別な日」と思っているのは大人だけだったのかもしれません。

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また、お散歩の途中で小さなねずみ(もぐらかな?)が死んでいるのを見つけたことがありました。
「死んでる!」「どうしたんだろう。」
「鳥にツンツンされたとか?」
思い思いしゃべったら、またすっとお散歩に戻りました。
私は「お墓を作ろうとかの発想は出ないか。」と思いましたが、そうではなくて、子どもたちの中には死は特別なものでも何でもないのではないかと思いました。

あの死んだねずみも、鳥などのえさとなり、また命をつないでいく。

毎日がただある。
人と自然。
生と死。
昨日と今日。
今日と明日。
すべてつながっている。

そのことを、子どもたちは本当はよくわかっているのではないでしょうか。

森に行くこと。
火を使うこと。
食べるものを自分で調理すること。
全て特別なことにはしたくないなと改めて思います。
これからも、そんな子育て、私自身もそんな生き方をしていきたいです。


5.「こんな子に育ってほしい」はない。

「森のようちえんに通ったら体力がつきます!」とか「森のようちえんでは創造力が育まれます」など、こんな能力がつきますよ!という話を聞きます。
たしかに、長女はめったに風邪をひかないし、森の中で名もない遊びをたくさんしてきました。

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しかし、そこはそんなに重要なことではないと私は思っています。

「長女が、長女のままでいられること」

このことを一番大切にしたいと思っていて、まさにこの2年間は、長女は長女のまま、素敵なところをそのまま伸ばしてもらえました。

この春から小学校生活が始まります。
はじめての集団生活。
新しいことだらけで、親子共々戸惑うこともあるでしょう。

でも、きっと大丈夫。

この子ならきっと大丈夫と、胸をはって言うことができます。
それはやっぱり森のようちえんのおかげだと思うのです。

本当にすてきなようちえん生活を
ありがとうございました。

関わってくださった全ての方へ、感謝を込めて。

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