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『ドラゴンボールの息子』その8「父との思い出」

僕には子供の頃の父との思い出が
ほとんどありません。

今まで書いてきた通り、父はアニメ脚本家として多数のレギュラー番組を抱えていただけでなく、多くの弟子たちの面倒も見ていました。

あの頃の父に、僕のための時間など作れるはずもなかったです。

親子で一緒に出かけたり、スポーツをした経験も少なく、勉強を教わった覚えもない。

そんな親子関係だったので、僕は父と話すのがあまり得意ではありませんでした。

締め切り前のイライラした父に話しかけて、『バカ野郎!』と怒鳴られたことは数知れず、いつの間にか自分から話しかけることも遠慮するようになっていたのかもしれません。

そんな頃に巨人ファンだった父が、誰かから東京ドームで行われる試合のチケットをもらってきたらしく、僕を誘ってくれたことがありました。

正直言って、僕は緊張しました。

父とふたりきりで長時間過ごすなんて、
想像することが出来なかったからです。

行きの電車の中ではガチガチでした。

東京ドームに着くと、父は『ここで待っていなさい』とすぐに席を外しました。

僕は父と離れることが出来て、
正直ホッとしたのを覚えています。

しばらくして席に戻ってきた父が、僕のために『お弁当』と東京ドームの形をした『アイスもなか』を買ってきてくれたのです。

普通の親子なら、なんてことないワンシーンなのかもしれませんが……

僕たち親子にとって、
これはとても特別なことだったのです。

父とふたりでお弁当を食べ、野球を観る。

たったこれだけのことで、父との間にあった
氷のようなものがゆっくり溶けていくような
気がしました。

帰りには父がイチロー選手のクッションを買ってくれて、上機嫌で帰ったのを覚えています。

大人になってから父にこの時の話をしたら、
そんなのが思い出なのか?』と不思議そうに言っていました。

子の心、親知らずというやつです。
普通、逆なんですけど。

僕は普段、自分から父に何かをねだるようなタイプではなかったのですが、あの時だけは本気でワガママを言ったと覚えている出来事があります。

その当時の僕はゲームが大好きで、新しいソフトを買っては飽きるまで遊び、中古ゲーム屋に売っていました。

ある時、僕が持っていた『トルネコの大冒険』というゲームが中古ショップでも1番の高値である5000円で買い取ってもらえることを知り、すぐに売りに行きたいと思いました。

ゲームの価値は発売日から時間が経つにつれて、買取価格が下がっていくもの。

鮮度が落ちないうちに店へ持ち込むことが、
なによりも重要だったのです。

しかし、当時まだ小学生だった僕はひとりでゲームを売ることが店側に認められてはおらず、必ず親の立会いが必要とされていました。

僕は困ってしまいました。

頼みの綱である母が、この件に関しては相手をしてくれなかったからです。

よりにもよってこんな下らないお願いを、
あの『恐ろしい父』に言うしかなかった。

しかし、僕が意を決して父に頼んでみると、
意外にも快くOKしてくれたではありませんか。

そのかわり、父の次の休みの日まで待つことが
条件になりました。

『トルネコの大冒険』が、
その時まで5000円で売れるとは限らない。

僕は一日千秋の思いで、その日を待ちました。

ようやく訪れた父の休みの日。
その日は、まさかの大雪になってしまった。

東京なのに数十センチは積もったであろう雪によって交通網は完全に麻痺し、とても外出できるような状態ではなかった。

でも、あの時の僕にはそんなことは関係ありませんでした。

とにかく、『トルネコの大冒険』を5000円で売らないといけないのだから。

当然、父は『また今度にしよう』と言いました。

僕はこの時ほど意地になって、父に何かを頼んだことは他にありません。

さすがの父も僕の熱意に負けて、一緒にゲーム屋さんに行ってくれることになったのです。

僕はもう、まるで戦場にでもいくような気持ちになっていました。

父とふたりで上下にカッパを身にまとい、魚屋さんのような黒い長靴を履いて一駅先にあるゲーム屋さんへと出発。

この時の道中、僕は父と何を話したのか、
まったく記憶に残っていません。

雪が積もった街には車も電車も走っておらず、ただただ僕と父の黒い長靴が鳴らす『キュッ、キュッ』という足音だけが響いていました。

子供だった僕は膝まで雪に沈み、長靴の底からくる冷たさに耐えながら進みました。

そして、通常は15分ほどで到着できる道のりを1時間以上かけて、ようやくトルネコの大冒険は無事に5000円へと姿を変えました。

帰り道、すっかり体の冷えきった僕に、父が『蕎麦を食べて帰ろう』と言ってきました。

体の大きな僕たち親子は駅前にある小さな蕎麦屋に入りました。

もしかすると、あれは僕が生涯でいちばん美味しいと感じた蕎麦だったかもしれません。

やはり、そこで父と何を話したかは覚えてないが、早飯ぐらいの父と一緒に、あっという間に食べ終えてしまったような気がします。

温かく立ちのぼる湯気の向こうに、父の優しい笑顔があったような記憶もあるんですが……それは少しカッコつけすぎた表現になるのでやめておきます。

繰り返しになりますが、僕には小学生時代に父との思い出が少なかった。

少なかったからこそ、濃い思い出だけが
今の僕の中にもしっかりと残っています。

これからも少しずつ、その『濃いやつ』だけを
ここで書いていこうと思います。

#エッセイ #日記 #アニメ #脚本家

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