思いのままに声にするということ
「あなた、自分の思ったことをそのまま口にしなさい」
また占いに行った。今年でもう3回目だ。占いに行きたくなる時は大抵仕事の悩みがある時。こんな会社やめてやる!と思うほどでもないし、でも一生続けるのは嫌だなあという時。何か決定打があればすぐ転職に踏み出せるのに、それはまだ無い。しかし毎日モヤモヤするのだ。今より良い環境があるかもしれない、そんな気持ちがいつも心のどこかにある。
占いに行き始めた頃は転職の後押しをして欲しいだけだったが、何度も行くうちに最近は「私は悩みがあるのではなくて、占いというコンテンツが好きなだけなのでは?」と思うようになってきた。そのくらい私は占いが好きなのだ。
占いに行くと大抵の占い師さんはあなたは優れた人ね、こういう仕事が向いているわよ、なんて言ってくれる。その言葉で未来への希望を持って帰路に着くのだが、今回の人は一味違った。
「どんな仕事が向いていますか、転職でずっと悩んでいます。」私がモジモジしていると「あなたは目上の人に反抗する節があるわね。思ったことをそのまま口にしなさい」とピシャリと言い放った。今までずっと良い子を貫いてきた私の心根を見透かされたようで恥ずかしくなる。
「他人に対して〇〇してください、ではないの。それだと衝突が生まれる。あなたの主観だけを話しなさい。××だと思う、〇〇になると良いなあって口に出しなさい。」
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思えば子供の頃から思ったことを口に出すのは苦手だった。従順ないい子である事が喜ばれたし、争いも少なくて済む。
子供の時にふと口に出してしまった言葉で母親を傷つけてしまったり、父親を激怒させたりと嫌な経験を何度もした。そうして私は段々と話すことに慎重になり、なんでも相手に合わせることが多くなっていった。
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日本には元来「口は災いのもと」「多元は身を害す」「沈黙は金、雄弁は銀」「本音と建前」など“言わない”ことを良しとする傾向がある。仏教では十悪のうちの四つは言葉に関連するものだ。
妄語(もうご)…嘘偽りを言うこと
綺語(きご)…事実に反して飾ったことを言うこと
悪口(あっく)…悪口を言うこと
両舌(りょうぜつ)…矛盾したことを言うこと
こんなにも日本人は話すことに対して慎重であるということだろう。
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仕事中の自分を思い返してみると、必要最低限の会話はするが素直に話すことは少なかったように思う。忙しくて話す時間もそんなにないし、何より社員は仲間ではあるがライバルでもある。社風もあるのか、褒め合うことも無くピリピリしている時間の方が圧倒的に多い。
他人のミスを自分のせいにされたこともあり、私はあまり社内の人を信用していない。入社した頃は平気で嘘をつく人を何人も見かけて、誰を信じて良いのかわからなくなった。そして次第に会社に行くことが出来なくなり、1ヶ月ほど休職した。
このような背景もあり、私は上司や周りの人に対して常に懐疑心と反抗心を持っているのだった。
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勿論周囲の環境だけではなく、自分にも問題は沢山ある。根っからの心配性で人見知り。その上口下手で、読み書きは好きだが人と話すことは面倒だと思っている。
そんな私が思ったことをそのまま言う?!ご飯おいしーだとか今日は晴れてて嬉しいなーなんて言っている自分が想像できない。まして職場で誰かに話すなんて天地がひっくり返っても有り得ないだろう。
人を信用し腹を割って話すというのは、慣れていない人間からすると清水の舞台から飛び降りるくらいの覚悟が必要だ。簡単に心を開いてしまうと悪い人に付け込まれて壺を買わされるかもしれない。そしてその様子がYouTubeで全世界に配信されているかもしれない……。
実際壺を買わされたことなどなく、自意識過剰であることはわかっている。そして自分が本当はもっと人と触れ合いたい、本音で話がしたいと思っていることも理解している。
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あの時私を諭す占い師さんの目は真っ直ぐで嘘をついていないような気がした。もう少し、素直になってもいいかもしれない。環境を変える前に自分を変えてみよう。
私は来た時よりも晴れやかな気持ちになり、転職を保留にした。そして、そんな気持ちにさせてくれた占い師さんに何かお礼をしたいと思い、彼女が売っていた使い道の分からない小物入れを自ら買って帰ったのである。
家に着いて驚いた。本音を言おうが言うまいが、心を開こうが開くまいが、結局私は壺を買ってしまう側の人間なのだ。なんて浅はかで単純な思考回路なのだろう······。そして私は彼女の言葉を思い出し、思いのままを声に出す。
「これ、どうしよっかなあ」
私の声は誰にも届くことなく虚しく消えていったのであった。夏の終わりの涼しい日だった。
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