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副腎疲労かどうかはどーでもいい

私は昔から不注意、忘れ物が多く、
分子栄養学を学びはじめ、
「私って副腎疲労なのかも・・・」
と思うようになった。

副腎疲労だから、やりたいことも
思うようにできないんだ…!と、
長年のモヤモヤに終止符を打ちたくて、

去年、治療のために
栄養療法ができるクリニックに駆け込んだ。

実際、血液データは散々なもので
「あぁ、やっぱり私は副腎疲労なんだ・・・」と

ある意味、
”これのせい”的なものが存在するとわかり
私は安心していた。


その後、
「副腎疲労を治す!」
とより一層食事に気を付けるようになるも、
データの改善はほとんどみられず。

今年、夫と結婚し新生活が始まり、
自分の理想の食事から遠ざかり、
色々新しいストレスも生まれた🤣

気づけば、私は夫に
「私は副腎疲労だから出来なくても仕方ないの!」
と、副腎疲労を言い訳に使うようになっていた。

ところでPNTでは、
「病気はその人がつくっている」
という考え方をする。

病気は嫌だ!無くしたい!!
と思えば思うほど、
その瞬間「病気」のことを
強く考えていることになる。


私も、副腎疲労は嫌だ!と
頭で考えれば考えるほど、
「副腎疲労である私」
のイメージが色濃くなり、
結果、その状態を現実化するのだと知った。


「自分がつくった病気によって
何かしらメリットがあるとしたら?」


こんな問いをされたら、
メリットなんてあるわけないでしょ!と
おそらく患者さんは怒るだろうが、

実は病気には、
本人の前提や心理的背景が絡んでいる。

そして私には副腎疲労であるメリットがあった。

副腎疲労でいることで、出来なくても仕方ない、
やり遂げられなくても言い訳になる

とどこかで思っていた。

でも、今年の中盤以降、
迷いながら、不器用でスローペースながらも、
少しずつやってみたいことにチャレンジしたり
とにかく行動していくうちに、

気づけば副腎疲労を言い訳にする
頻度が自然と減っていた。

行動している間は
「副腎疲労である私」
のことは忘れていた。


それよりも、
「なりたい姿の私はこんな行動をしている」

なりたい自分が10だとしたら、
今は2くらいかなと
今の延長線上には10の自分がいる
そんなイメージで動くようになってきた。

結局、大した治療もせずに一年以上が経っていた。
データは相変わらずほとんど動いていない。

でも、もう今の私は
副腎疲労かどうかは「どーでもいい」。

副腎疲労という言葉を聞いて、
なんだか特別なものと思っていただけで、

現代人はほぼほぼ副腎疲労なんじゃ?と
最近は思っているw

自分が特別でもなんでもないと気づいたら、
副腎疲労を言い訳にやりたいことをやらないのは
勿体なさすぎると気づいた。

要するに、何がいいたいかというと
何かやってみたいと思うことが少しでもあるなら

”元気になったらやる”
”落ち着いたらやりたい”

じゃなくて、

まずは行動してみたらいいと思う。

で、行動してるうちに、
気づいたら元気になってるかもってこと。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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10年間、大学病院の消化器外科/内科に勤務後、
分子栄養学に出会い、自身の不調を食事で改善した経験から、
不調は食事と栄養で改善できると知り、
現役ナース&栄養カウンセラーとして
活動しています。

自分の身体の「取り扱い方📝」が分かるだけで
人生はぐんと生きやすくなります。
Instagramでも栄養情報、レシピなど発信しています。

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