京アニ事件の判決に伴い思うこと
京アニ放火事件の青葉被告に25日死刑判決が下りましたね。
26日に職場に届いた、朝日、毎日、道新、読売…その新聞の見出し全てで京アニ事件の判決がトップニュースとなっていました。私はその朝刊を見て初めて死刑判決が下りたことを知りました。
仕事から帰宅後直ぐに、関連ニュースをネット等で読み漁っておりました。
青葉被告の育った環境を知るに連れて、私ももしかしたらこの人のような人間になっていたかもしれないと思うと、心底ゾッとしました。思うことがあり書いてみたくなったので記そうと思います。
※前提として、被告を擁護したり庇う意図は一切ありません。私は死刑が妥当な判決であると思う一人です。
被告の生まれ育った境遇は不幸なものでした。
両親の離婚、父子家庭、貧困、虐待。
妹は父親から性的虐待を受けていた。
そして酒癖の悪い父親は亡くなり、その後青葉被告は犯罪に手を染めていく。
下着泥棒から始まり、コンビニ強盗で捕まり実刑を受ける事になります。
確かにネットの様々な彼の生い立ちの記事を読んで、幼少期〜の原家族の在りようには同情の余地があるとは思います。
けれど、同じ毒親育ちとしては、恨みや憎しみに呑み込まれてしまった事が残念でなりません。
毒親育ちだから…
ではなくて、
毒親育ちだけど!
と言えるような、自分の満足いく人生を追い求めて欲しかったです。
一部の生活保護受給者の素行が悪い為に、生活保護全体が甘えた奴らという印象を受けるのと似ています。
一部の毒親育ちが犯罪という選択をした結果、毒親育ち全体にも良い印象は与えないと思いますから、本当に残念でしかありませんし、同情に値しません。
認めて欲しかった、評価して欲しかった。
という、自分の悲しみや絶望感を怒りにすり替えて、まったく関係の無い他人を殺す事の罪の重大さを、きっと彼は理解できないと思います。
なぜなら、彼は欲求不満過ぎて、自分をわかってもらいたいという自分本意な気持ちを未だに抱えているからです。
遺族に向けた「申し訳ないと思っています」という言葉に、遺族の方々が「反省の意がない」と感じたというのが何よりの証拠であると思います。
本当に悪かった…ごめんなさい…
と思っていれば、涙が溢れるものです。
彼は殺しても尚、パクリについて言及し、京アニ側に対して、俺に謝れと要求しています。
彼がこれだけの怒りを向けたかったのは誰なのか?
本当は誰に謝ってもらいたかったのか?
本当は誰に認めて評価してもらいたかったのか?
私はそれは“親”だと思います。
親にありのままを認めてもらって初めて自分を認められるからです。
そういう根本の原因を追求していけば、結局のところ親子関係に行き着きます。
あの事件に私が思うことは、同情でも遺憾でもなく「やっぱり親に自分を認めてもらう事は、自分の人生の全てに関わる」という追考です。
そこに気がつくか気がつかないか、そこが毒親育ちの分かれ目かもしれません。
どれだけ過去を憂いて同情を引いても、現在殺人を犯した事が、“しょうがない”となるわけではありません。そうして同情を引く事で情状酌量される事を狙っているのです。殺人をしても甘えたいんですね。
怒りを通り越して呆れるレベルだと私は思います。
自分が親に向けたい怒りや憎しみを、他人を殺して晴らし、その上許されようとするとは。
図々しいにも程があると思います。
毒親育ちの方々は同情の眼差しの方も多いようでしたが、大人になれば自分のしたことの責任は自分に返ってきます。それを粛々と受け入れる事がせめてもの贖いなのだと私は思います。
自分が毒親育ちだと気がついたら、抑圧された感情が必ずあります。親や自分を責めるより前に、先ずは自分と向き合ってください。
セラピストやカウンセラー、トラウマ療法等を頼って、その手伝いをしてもらってください。
それが自分と周囲を大切にしていく事に繋がります。
絶対に自分を見捨てたままにしないで。
自分を自分で助けてください。
それが連鎖を止める、唯一の方法です。
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