我々は何と戦っているのだろう?
再度の緊急事態宣言が出されてもうすぐ二週間になる。しかし相変わらず感染者数は高止まりし、収束への見通しは立っていない。街中には相変わらず人手があり、初回の緊急事態宣言時の緊張感は見られないのだから当然である。
我が国を支えている産業とは?
この事態に及んで初めて気づいたのだが、どうも我が国の経済は観光業と飲食業で成り立っていたと言うことらしい。日本の産業が衰退しているとは言われていたがギリシアのような国になっていたとは知らなかった。もちろんこれは皮肉である。しかし緊急事態宣言の影響については居酒屋と旅館の苦境のみ報道されるだけである。良く景気の指標として住宅着工件数が用いられたり、住宅減税により住宅取得を推進することで周辺の設備産業等広く消費が循環するという例は用いられるが、この国の産業はGoTo某で旅行と飲み食いをしていれば循環するのであろうか?
新型コロナは誰のせいでもない
新型コロナウイルス感染症の蔓延については中国起源説の是非はともかく、日本においては誰の責任でもない。もちろん水際対策や医療体制の整備、さらにはGoTo政策の運用などにおいてベターな対応はでき、その結果感染増のタイミングをずらすことができたかもしれないが、台湾やニュージーランドのような小国であればともかく、日本においては感染を完全に排除することは無理だったと考える。さらに言うと、ある時点においては「成功している」と評価されている国でも、時間が経つと再び感染増に見舞われるのが現状である。今の菅政権の対応は危機管理の観点から褒められたものではないが、かといって誰か他の人がやっていたからと言ってうまくいくものではない。さらにこのような感染症に関しては政治ができることはそれほどないということも認めざるを得ない。つまりこの状況は誰かのせいではなく、皆が力を合わせて対応しなければいけないものなのである。
第一波が過ぎ去って以降我々は何をやってきたか。
5月に国民全員の協力で第一派をなんとかやり過ごすことができた後、我々は何をやってきただろうか。近視眼的にはマスクや消毒液を増産し、テレワークを推進したり、通勤定期を廃止したりの対応は行われたが、病床の確保、新型コロナウイルスに対応する法制度の準備などは行われていなかったようである。むしろGoTo政策の是非や学術会議問題などの時間を浪費していたようである。どうもこの国の政府も国民も見たくないものは先送りし、喉元を過ぎれば熱さを忘れるということが染みついているようである(これらの点については別に検証してみたい)。その時期に国のリーダーが交代するというイベントがあったことも不運であったかもしれない。ただ、今苦境を叫んでいる飲食業や観光業の人達もやるべきことをやっていたと言えるのだろうか?4月の段階で「また同じような世界が戻ってくる」という予想をしていたとすれば甘すぎる。新常態・ニューノーマルやwithコロナなどと呼ばれていたが、当然に予想された第二波、第三波、そしてこれから訪れるかもしれない波に備えての対応をせずに、希望に身を委ねていたのではないだろうか。そうであればただ不平不満を並べても何も解決にならない。残念ながら廃業に追い込まれるところもあるだろうが、それとて我々が自由主義経済に身を置いているとすれば受け入れざるを得ないシステムである。
想いを前にすすめるには
この一年、私たちが持っていた予定というものは悉く破壊されてきた。先を見据えて抱いてきた希望や楽しみ、それがオリンピックであったり、成人式であったり、仲間との楽しい語らいであったり、今までの日常であったり、そういったものへの「想い」は行き場を失ってしまった。しかし今の地点から再びスタートを切ることが私たちにはできると思う。そのためには誰かに責を負わせる思考から離れ、自分の問題として自分がやるべきことを見出し、そのために必要な援助を周囲に求めていくという前に進む思考を進めていくべきだろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?