#番外編 学会にアルバイトとして参加しました。

こんばんは、忙しく更新を滞納してしまいました。今回は番外編として、先日アルバイトとして自分が所属する学科に関連する学会に参加したときに考えたことを記述しようと思います。


①研究者は本当に自分のテーマが好きである。
これは、自分の研究室の先生が質問者として参加していたエピソードを見て感じました。普段は非常に大人しい様子で話をされる先生なのですが、自分の専門である紫外線処理の話になった途端に早口で輝いた目で話を始めました。自分もそこそこやっている研究については楽しいと思っているが、そこまで心の底から楽しいと感じられるには至っていない、自分のテーマに対する探求活動が本当に好きな人こそ博士課程に進学し、研究者になるんだなという感想を抱きました。

ある種の閉鎖的な村社会に近い
これは学術機関の研究者にも、地方公共団体・機関系の研究者にも言えると感じました。例として、とある地方公共団体・機関系の研究者は発表中の提言として「我々の政策・研究は内輪になりがちだから注意しなければならない」という発言をしたのですが、質疑応答で質問をしたのが発表者の部下のみという内輪な状態でした。

発表会の議論の魅力向上には向上の余地がある
このように自分が感じた理由には3点ほど仮説を持っています。

A 先生方はオフィシャルの場では建前の話しかするつもりがなく、無難な話に終始しているのではないか?

教授の先生方は「学会のあとの宴会を楽しみにしている」という話を繰り返していて、おそらく「本音の方の議論は後でやりましょう」というニュアンスなのではないかと考えました。
しかし、学会の参加者の期待する議論は、今までは飲み会の場をおこなわれていたであろうオフレコの本質的・Controversialな議論であることだと思っています。
そもそも飲み会に参加するのが好きでない人がいたり、若手が飲み会で発言しにくい等の事情を考えると、オープンな場でこのような議論をした方が学会自体の価値も向上するしより議論が活性化するはずです。

B 質問者の質問が曖昧で長く、何を聞いているかわからない。そのため返す方もフワッとした答えしか返せないのではないか?

大半の質問者は「感想を言いたいのか、提言を言いたいのか、質問がしたいのかはっきりわからないまま話し続ける」という特徴があることに気がつきました。シンプルに前置きが非常に長い。そして「〇〇について考察してください」「〇〇のテーマについてどう考えますか?」という漠然とした質問が多い。

これだと自分の考えとの違い等がわからず、自分の考え→質問→というループが回りにくいと感じています。論文の書き方などは担当教官から教わる機会があるのですが、話し方は見て学ぶものなので「風習化」しそうだなと感じています。

C 意見を積極的に発信できる環境づくりがいまいちできていないのでは?

パネルディスカッションのパートでは何度も聴衆に質問を教授が求めていましたが、全く質問や意見等が出ませんでした。やはり日本人あるあるの自分からは何もしない精神が強いのでしょうか。この土壌づくりのためにどういうことをすればいいのか?というのは学会だけではなくいろいろな場で考えるべきことだと思っています。

修士研究の核心に内容に触れるのはまずいのではないかという指摘を受けたので、関連する題材についての投稿を増やしていきたいと思います。

読んでいただきありがとうございました。