仕事しかなかった私が子供を産んだ


#子どもの成長記録

「いにゃーい いにゃーい」

いないいないばあをするカエルが好きな6か月の娘
初めて話した言葉は「ママ」でも「パパ」でもなく「いにゃーい」だった。プーさんのメリーを見上げては「いにゃーい」
お気に入りのうさぎのぬいぐるみを投げては「いにゃーい」

要求をすべて「いにゃーい」にこめて訴えてくる

期待を希望をだんだん口にしにくくなる大人である私と異なり
直球で全身全霊で要求をぶつけてくる娘に当たり前なのかも知れないが
いらだちを覚えないことに子供への無償の愛という言葉がよぎる

子供は苦手だった
話が通じない、常に構っていないとなく、接し方がわからなかった
私には仕事しかないと結婚、出産を見ないようにして
がむしゃらに働いてきた

子供は授かりもの

言葉通り全く預かる気配もなかった私に娘は突然訪れた
戸惑いよりもきつねにつままれた気持ちが大きかったが不思議と産まない選択肢はなかった

がむしゃらに仕事をしていた私にとって自分の体をいたわりながら仕事をすることが一番難しかった
そして自分に向き合う時間が増えたことも

出産が子孫を残す尊いものである認識は漠然とあった
が、すべてリセットしながら生きてきた私にとって妊娠、出産とは
過去と、自分と向き合い受け入れるという目を背けていたものに対峙しなければならない過酷なものだった

初期の切迫、高齢出産のための転院
逃げのためのお酒も、たばこも頼れず、絶対安静のための気晴らしの散歩もできず
発散できない叫びたくなる衝動の毎日
自己肯定感が地を這うにとどまらず常に地中を掘り進めている状況の中で
どうかこの娘に悪影響を及ぼしませんように、と祈る日々

思えばこの向き合う時間も子供がくれた立ち止まり時間だったように思う

疎遠だった両親との時間
いままで蓋をしていた自分の感情の傾向と体調変化の傾向に
気づけるようになり休む、頼るを少しずつ学ぶことができた

昨日できなかったことがいつの間にかできるようになっている
こどもに触れてこなかったからか
人はこんなに成長できるものかと日々驚かされる

産休前は2,3か月での職場復帰を心に決めていたが
自然と消えていた
一番変化の多い1歳までの短い期間、そばにいられる環境に自然と感謝することができた

マイペース、自分のペース、気持ち考えををしっかりと持った子になってほしい
そんな願いが伝わっているかのような走り出し

大変なのはここから



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