箱根、好きです。
はじめていったのは小学生のときでした。
私の実家は商店街にあり、化粧品やバッグやさまざまな小物を売る店をやっています。
いまは弟がやっていますが、私が子どもの頃は、祖母が中心になって営業していました。(母の母です。父の両親は、父がまだ十代の頃に亡くなりました)
私の祖父(母の父)はとてももの静かな人で、店にも外にもあまり出ることはなく、本を読んだり絵を描いたりして過ごしていました。
祖父とは対照的に、祖母は人と接することが好きで、商店街の懇親旅行とかにいくのも大好きな人でした。そしてなぜかそんな旅のお供に、小学生だった私をよく連れていってくれたのです。
私は当時、体があまり丈夫ではなかったせいもあり、学校にいくほかは、家で過ごすことが多い子でした。それにもともと、祖父のように本を読んだり絵を描いたりするのが好きな子でしたし。
そんな私を見ていて祖母は、「外に連れ出して、人と接することを覚えさせなきゃ」と思ったのでしょうか。それとも、「いつも家にばかりいるから、もっと自然とふれあわせよう」と考えたのかもしれません。いえ、ただ単純に、孫可愛さで、あちこち連れ回したかっただけかもしれませんが。
私も祖母が好きでしたので、「いこう」といわれれば、「はーい」とよろこんでついていきました。
伊豆や熱海や伊東や小田原…商店街の旅行の行き先は、東京に近い観光地と決まっていました。子どもだった私は、自分がどこに来ているのか、よく把握していませんでした。
…その朝、旅館の庭を、祖母と二人で散歩していました。前の晩、お酒を飲んで赤い顔をしていた祖母は、もうすっきりした顔をしていました。
私は足元に、いままで見たことのない植物を見つけて、しゃがみました。
「わあ、きれいだね、この葉っぱ」
濃い緑色をした葉は、うぶ毛がいっぱいはえていて、ふれた指先がチクチクしました。枝は、葉とは違う紅色をしていて、私はそのコントラストに(その頃はもちろんそんな言葉は知りませんでしたが)感動したのだと思います。
「ああ、それはね、ユキノシタっていうんだよ」
ふだん、花や草木の話などまるでしたことがない祖母が、さらっといったので、私はちょっと驚きました。祖母はそれ以上の説明はなにもせず、すーっと大きく息を吸い、ゆっくりとはきながら、
「ハコネは、空気がきれいだねえ」と幸せそうにいいました。
温泉卵に海苔に干物にほうれん草のおひたしにお豆腐のお味噌汁…散歩のあとの旅館の朝ごはんが、とてもおいしかったのをおぼえています。
たぶん、あの朝に私は、雪の下と箱根という名をセットで覚え、それと同時に、箱根というところを好きになったような気がします。