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俳句は楽しや!

三月や
痒がる子の背に
手を伸ばす

汗かきの息子はよく背中を痒がる。いつものように『背中を掻いて』と言う息子の背をかきながら、心に留めておこうと俳句にしたのは、震災から12年というニュースが何度も目にとまったからかもしれない。

そして、コロナ禍で逝った母への思いと重なり、自分の手の届く場所に愛する家族がいるということの現実に心が動いたからだと思う。


ふとした出来事を短歌や俳句に詠みたくなるようになったきっかけがある。

2009年に第一子となる娘を出産した後、私は体調を崩し入院することになった。よくある産後の不調だろうと思っていた私の体調は思ったより深刻な状況だった。
生後1ヶ月の娘を実家の両親に託して、私は実家から車で2時間の場所にある総合病院に。

不安と情けなさとで病院のベッドで涙がポロポロ止まらない。生まれたばかりの娘の世話もできない自分はなんという母親なんだろう。これからどうなってしまうのだろう。

どんよりとした重たい空気をまとっていた入院生活。治療と検査が辛く虚しい日々が過ぎていた。

そんな時、叔母がラジオ深夜便という月刊誌を数冊、持ってきてくれた。読者の俳句、短歌の投稿ページに目がとまる。

投稿者の綴った歌の情景は、晴れやかなものもあれば、当時の私と同じようにやるせない気持ちを詠まれたものなど様々で、それらを読むことで少しだけ気が紛れた。

そして、私もこの入院中、心に残った情景を俳句や短歌にして書き留めて見ようと思いついたのだ。

病院の売店でメモ帳を購入し、俳号を考えてノートに書き込んだら一丁前に自分が歌人になったような気分になった。

言葉を並べてメモ帳に書き込んでみる。
五七五、五七五七七のリズムに当てはめる作業が悶々とする気持ちを払拭してくれる気がした。

指折り数えて言葉を探す作業がゲームのようで、暗闇に引きずられそうになる間をかき消した。


同部屋に入院している人の中にいつも本を読んでいるご婦人がいた。齢80歳を過ぎていただろうか。

何がきっかけで短歌の話になったのか忘れてしまったが、このご婦人が俳句や短歌を詠む人であることを知った。若い頃から句会に出ては他の参加者とお互いの句を評価してきたのだという。

思いもよらず出会った短歌の大先輩。私は自分の短歌を添削してもらえないかお願いした。ご婦人は快く受け入れてくださり、私は毎日のように出来上がった歌を持って彼女のベッド脇に座った。

読み返すと恥ずかしくなるけれど大事な思い出

辛いことしか感じられなかった入院生活の中に、きらりと光るものが自分の目に映るようになった。歌を添削してくれる彼女との時間は気持ちが穏やかでいられた。

この時の経験が、短歌や俳句を作る楽しさを教えてくれた。


退院後は日々の生活に忙しくなり、しばらく俳句や短歌から離れていたが、近頃テレビ番組で有名人が歌を詠む姿を見て、また自分でも言葉を探すようになった。

僭越ながらも思いついたらSNSに投稿している。あの時、病室で知り合ったご婦人とのような出会いがあるかもしれないと思っているのかな。

色々な方の俳句や短歌を読むと、知らない言葉がまだまだこんなにたくさんあるなんてと新鮮な気持ちにもなる。

続けていくうちに私も上達して人の心に残るような歌が詠めるようになるだろうか。
そんなふうになれたらいいな、と思っている。





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