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第三話:裸のお付き合い

 息子の死を、ぶっこちゃんがどの程度認識しているのかはよく分からない。清一の病気について、どのタイミングでどう話そうかということを叔母のメイコと議論している内にあっけなく病院で他界してしまったものだから、ぶっこちゃんには事後報告となってしまったのであるが、葬儀の際彼女は涙を見せなかった。気丈というのではない。どうも、理解していない様子だった。喪服を着せて、数珠を持たせ、葬儀会館に到着するや
「惜しい人を亡くしたなぁ」
 とか言ってみたり。
 火葬場へ移動の段には
「あ、清一呼んでんか、車出してもらわんと」
 そうした発言の都度、他者の目が気になったりしてぶっこちゃんを控室に促したりするメイコの姿があったが、こうしたぶっこちゃんの言動は一種の現実逃避だろうとしのぶは理解した。
 恐らくは、息子の死をぶっこちゃんは理解したのだろう。理解してしまったからこそ、その現実に耐え得る精神を持ち合わせられない自分を保持するために、何か別の解釈をして自身の頭を納得させようと必死なのである。
 ぶっこちゃんはぶっこちゃんのスピードで、ゆっくり現実を飲み込んでいけばいいと、しのぶは思った。
 早いもので、あれから一年か。あれ以降、息子の死という事実を飲み込もうとする様子はぶっこちゃんに伺えない。未だ、飲み込もうとする過程であるのか、若しくは本当にすっかり分からなくなってしまったのか。
 そんなぶっこちゃんがある日、風呂場で転倒してお尻に大きなあざができた。
「良かったね、お尻にお肉がいっぱい付いているから骨折せんで済んだなぁ」
 なんて言って笑っていたのだけれども、余程痛かったのか、怖かったのか、その日を堺に入浴をしぶるようになってしまった。若しくは、元々無精でお風呂が嫌いだったぶっこちゃんのことだから、良い機会と思って渋り始めた可能性もなきにしもあらず。
 そうしたことが一週間も続くとだんだん臭いが気になりだす。いくら外に出ず汗をかかない生活をしていても、一緒に生活をする上でこの上なく不快になってくる。
 翌日のこと。
「一緒に入ろう」
 しのぶはぶっこちゃんを風呂に誘った。これまでに風呂場でぶっこちゃんのシャンプーをしてやったことはある。が、その時しのぶは服を着たままだった。風呂に誘われたぶっこちゃんの脳裏にそのことがよぎったのか。
「頭は洗わんで」
「洗わんでええ」
 そんなやりとりをしていたが、何故かぶっこちゃんの方が先に風呂場へ入り始めた。追いかけて一緒に湯船に浸かるしのぶに話しかけているのか、独り言なのか、ぶっこちゃんが話し始める。
「お父さんが居てはってな、なんやこっちおいで言うてはったんやけどな」
「え、お父さんて、満さんか?」
 しのぶは数年前に他界したぶっこちゃんの夫(しのぶの祖父)の名を言ってみた。
「え?」
 ぶっこちゃんはきょとんとしている。どうも違うらしい。
「ほな、亀太郎さんか?」
 ぶっこちゃんの父の名を言ってみる。
「そう、亀太郎さん、お父さん」
 実のところこの「お父さん」と呼ばれるぶっこちゃんの父の名はぶっこちゃんの話によく登場する。本人曰く、ちょくちょく会話しているらしい。頭をなでてくれたり、姉妹の中自分だけを祭りに連れてくれたり、そうした亀太郎さんの話をする時のぶっこちゃんは常に嬉しそうだった。余程、好きだったんだろうなとしのぶはぶっこちゃんの過去に思いを馳せる、間もなくザブーとぶっこちゃんは風呂を出る。
 その後しのぶは高温の湯を足して湯船に身を預ける。この日から週に三日、ぶっこちゃんとの混浴が始まった。常にぶっこちゃんはぬるめのお湯で、あっという間の入浴で、体を洗うのも面倒なのか湯に浸かってタオルで体をなでているのだけれども、そうした間、常に喋っている。それらはしのぶの知らない話で、時に知らない名前も登場した。終始たわいもない話ではあるが、それを聞くのがしのぶにとっては面白く、また大切な情報として心に留めたいと思った。
 ただ、一度として夫「満」の名を口にすることはなかった。

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