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第11話:電話

 ぶっこちゃんは耳が遠い。最近特に、聞こえづらいようである。テレビやラジオの音量も大きいし、人と話していても「えぇ?」と聞き返すことしばしば。
「耳遠なったわ」だの「聞こえへんわ」だの無意識的に言う頻度が増したことがそれを物語っているようだが、聞こえの問題と共に頭の理解の問題があるだろうとしのぶは思っていた。明らかに聞こえているが理解していない様子も日常多々伺える。入ってくる音声をBGMのように捉えているのか若しくは一切捉えていないのか、聞こうとするが脳機能が処理しきれないといった状態かもしれない。
 認知症でない健康な人は、聞こえる音声が我々の言語であり知った単語、知った内容のことであるならば、敢えて意識せずともその意味を理解してしまうだろうが、ぶっこちゃんまでになるとそうした思考を意図して行う必要があるようで、それをするのに結構な労力が必要であるらしい。労力であるならば、なるべくならば避けて通りたいのが人の特性ではなかろうか。つまり通例に漏れずぶっこちゃんは、なるべく煩わしい物事から解き放たれた日々を送っているわけである。
 そんなある日、電話が鳴った。
プププププ……プププププ……
 玄関入ってすぐの棚に、ファックスと一緒になった電話がある。別段変わったタイプでもなく、以前はぶっこちゃんも使用していた白とベージュの電話機である。おまけにこの電話機は音のみならずライトが光って着信を知らせてくれる。
 電話が鳴った昼過ぎのまどろみの時刻、ぶっこちゃんはお気に入りの玄関前ソファに身を委ねて玄関の熱帯魚の水槽を見つめていた。その位置から中の魚は見えにくいが、それ以外に暇をつぶす材料が見当たらなかったのかもしれない。そんなぶっこちゃんにとってはもってこいの暇つぶし材料である電話が鳴ったわけであるが、ぶっこちゃんはその電話機を見つめたまま動かない。
 元々無精が身についている性分ではあるが、それでも以前は電話が鳴ると嬉しそうに出ていた。今日に限っては、気付かなかったわけではない。現に、気付いてそちらに目を向けている。どうも、電話が鳴っているといいうことには気付いているらしい。だが、出ようとしない。その表情は、いかにも私とは関係ないと言わんばかりに無責任である。
「あーはいはいはい」
 台所から小走りにしのぶがやってきて受話器を取る。何かしら、二言三言話して受話器を置いた。振り返ってぶっこちゃんと目が合った。
「間違い電話でした」
 しのぶの報告に、ぶっこちゃんはすました顔で言う。
「どうりで私、動かへんかったわけや」
 今日もまた、いつどこで役立つか分からないしのぶのネタ帳に、おもしろ話が追加された。

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