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第13話:庭談話

 ぶっこちゃんは庭が好き。昔から、植物の世話をするのが好きらしく、花やら木やら植えたり育てたりしているのを、しのぶも幼少の頃から眺めていた。最近は動くのが億劫になったらしく、専らその役割は見よう見まねながらしのぶの担当になっているが、それでも時折庭に出て季節の花を眺めるのは楽しいらしく、天気の良い日には「花を愛でる老婆」の姿を堪能することができる南野家であった。
 歩行はたどたどしい。ぶっこちゃんは自身の杖を持っているが、今日はそれすら面倒だったのか手すりを伝って家の外階段を下りてきた。
「一人でよう歩かんわ」
 誰に言うでもなく、つぶやく。
 花に水やりをしていたしのぶは振り返った。
「じゃあ、誰に歩かせてもらってるんや?」
 一瞬、間があった。
「宇宙の風~」
 しのぶは水やりを止めてメモを取りに行かねばならないと思った。なんとも、すごいエネルギーを受けてぶっこちゃんは歩いていたのだ。
 よろめきつつ、庭の花々を見てぶっこちゃんの顔はほころんでいる。
「うまいこと咲いて、千日紅は仏壇に使えるな」
 どうやら、感情的というより合理的らしい。そして、他者とのコミュニケーションよりも自身の思考の中で、彼女は会話する。しのぶが受け応えせずとも独り言は続いた。
「これ、何やいなぁ、何や言うたなぁ。あぁそうかー……え、何てや?」
 急にぶっこちゃんがしのぶに振り返ってきょとんとしている。
 何も言っていないのだが、と思いつつ何かを言ってあげたほうが良いかとしばし思案し、尋ねてみる。
「ぶっこちゃんは、いつおばあさんになったん?」
「いつやて、そんなもん……。」
 ちょっと、機嫌を損ねたようである。
「何年前?」
 しのぶはしのぶで、ころころ変わるぶっこちゃんの表情を楽しんでいた。
「何年前てそんなもん、忘れてしもたけど……」
 どうやら、自分がおばあさんであることは認識しているらしい。しのぶはぶっこちゃんの杖を持ってきて渡した。別の話題が必要らしい。
「ぶっこちゃんは、飛行機に乗ったことあるか?」
 ふと頭上に、青を区分けするかのように真っ直ぐ進む飛行機があった。
「いっぱいあるよー、九州やろ」
 頭上の飛行機には気付かないが、この話題は正解だったようだ。
「それから?ハワイも?香港も?」
 しのぶは過去にぶっこちゃんに聞いたことがある彼女の自慢話から抜粋してそれらを提示してみた。良い思い出の想起は高齢者の心を穏やかにすると、どこかで聞いたことがある。
「ハワイも行ったなぁ、香港も行ったなぁ」
 よし、この調子だ。しのぶは再び花の水やりを始めながら会話を続ける。
「すごいなぁ、いっぱい行ってるなぁ」
 おだてには素直に笑みを浮かべるぶっこちゃんである。
「そりゃあ、六十年も生きたらなぁ」
「うまいことサバ読んだな」
 真顔のぶっこちゃん、もうすぐ九十歳である。

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