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第23話:合理的認知症

 ついにこの日がやってきた。今朝の出来事を、記録せずにはいられない。
 しのぶはついに、ぶっこちゃんに言われてしまった。
「今日はしのぶちゃんどこ行ったん」
 しのぶは耳を疑いかけた、が疑わなかった。自分を指さして「私?」と聞き返してみた。
「あんたは……しのぶちゃんちゃうやろ?」
 不思議そうに尋ねるぶっこちゃん。
「じゃあ私誰?」
 ここからが面白くなってくる。さて、何と答えるか。
「あんたは……カネコ(祖母の妹/故人)とちゃうか」
 困った様子である。
 さて、結局その後、しのぶを思い出すこと無く昼まで過ぎた。それでも、ひ孫たちのことは、しっかり覚えており、写真を見て名前をすらすら言えた上に過去の思い出を語れたりした。だが、しのぶは顔を近付けて見せても誰だか思い出せない状況で、ぶっこちゃんを混乱させるだけだった。
 こうした状況について、最初の一言目は、さすがにちょっとショックはあったが、すぐ(ついに来たか)という気持ちになり、合わせて対応することを楽しんでみようと考えた。
 というのも、そうなった理由を、およそ推測できたからである。
 原因は、祖母の脳機能の低下、つまり認知症ではあるが、何か明確な行動に現れる現象には、それを誘発する因子があるはずだとしのぶは考える。
 しのぶはその日の朝、誘発ボタンを押してしまったわけだ。
 寝起きのまどろみのぶっこちゃんに、下着が足りているかを尋ねた。というのも、ぶっこちゃんの部屋を片付けていて、シャツや上着は山程あるのに、パンツがほとんど無かったからだ。最初は勝手に購入しようかとも考えたが、まずは本人の意思を確認しようと思ってみた。
 ぶっこちゃんは「ある」と答えた。
「見当たらへんねんなぁ」
 しのぶが言うと
「捨てられたかもしれない」
 とぶっこちゃんは言う。
「じゃあ、買っておこうか」
「いらない」
 まぁそんな問答があったわけだ。
 ここから、しのぶの推論になるわけだが、ぶっこちゃんにとっては自分のパンツのことなど放っといてほしいことである。質問されたら答えはするものの、不快だったに違いない。
 こんな嫌なことを言うのは嫌なやつに違いない。しのぶちゃんではなく、いつも嫌味ばかり言うカネコに決まっている、となった。
 もちろん意図して思考しない。無意識思考である。
 であるなら……としのぶは更に考える。
 しのぶ以外の人である今の自分と、しのぶ(自分のことだが)についてぶっこちゃんと話したいと思ってみた。
 そんなことを思っていたらふいにぶっこちゃんが話しかけてきた。
「そこ(コンロ)触ったらあかんって言われんねん」
 不機嫌そうである。
「誰に?」
「しのぶちゃんに」
 しのぶは言ったことはない。恐らくは生前の父か、と思いながらも、普段から注意されている意識があるということなのだろう。
 しのぶが注意……と言うか、常日頃よく言っているのは「入れ歯」についてである。注意にならないように気を付けて、お願い形式にしてはいるが、なにせ入れ歯ネタである。ぶっこちゃんにとっては不愉快な事柄だろう。
 ぶっこちゃんにとって嫌なテーマに関与してくるしのぶに悪いイメージが随伴するのは仕方ない。そうした理屈が想像できなければ、悲しむか悩むか怒るかしなければならない。
 こうした事象を第三者の視点で考察してみた場合、自分ではなく、しのぶちゃんが忘れられた、ということになる。その人は、哀れみの目をしつつも内心自分ではないと安堵するだろう。他人視点では、どうでも良いことなのかもしれない。
 問題は、しのぶ自身である。
 今は笑っているが、一般的な行動原理から考察すれば、ぶっこちゃんがしのぶを忘れてしまったことは、しのぶにとっては少なからずマイナスとなっているはずである。だとしたら今後、ぶっこちゃんに対するお世話に何かしら変化が起きるかもしれないという懸念がある。
 しのぶの特性云々ということではなく、誰であっても可能性のひとつとして考えられるということであり、そう考えたならば、手を打つ必要がある。
 つまり、ぶっこちゃんに忘れずにいてもらうためにしのぶに出来ることは何かということである。
 ぶっこちゃんにとって不快な話題は言葉にしないように、ということは気をつけたいと思った。結局、言葉にしてみたところで答えは導きだせないのだから。
 つまり、パンツはいらないってこと。
 必要だと感じれば、そっと部屋に置いておけば良いだろう。入れ歯も、言葉にせずに行動で導くように。
 とまぁ、言うのは簡単。あくまでも、調子が良ければ簡単である。自分が不調なときは、もう仕方無い。トラブルは覚悟だ。
 人生何が起こるか分からないし。波乱は常に付きまとうと思って生きていこう、と結論した。
 それにしても認知症の言動ってうまいこと自己防衛してるなと改めてしのぶは思う。
 加齢による不具合を、どうにか生きていくために遺伝子に組み込まれている機能なのだろうか。
 私もいつか、そんな風になるのかもしれない。きっと、頑固でかわいげの無いばあさんだろうな。その時に周囲の人は、どんな対応をするのだろうか。
 しのぶは甚だ、不安になりつつも、そう考えるとぶっこちゃんは認知症の好事例なのではないかとも思えてきた。

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