見出し画像

【偽善】捻くれた思考もほどほどに。

※正義感の強い方が読むのはオススメしません。

「友人の死」を受けてすごく悲しい思いをした。私はなぜ彼女を助けられなかったのだろうという後悔がある。

そんな人がいるが、あなたはその友人にとってどれほどのものなのかを考えたことがあるだろうか。

単刀直入に言えば、人が人に抱く愛の重さは必ずしも一致しない。友人だと思っていたけれど、実は相手は知人くらいにしか思っていなかった、なんて場合もある。

人の心の距離感や感じ方は千差万別で、多種多様。状況やケースにおいて全く異なるもの。だからこそ、友人から見たあなたという存在は、友人だけしか知らないということになる。

自殺をする人間の心は複雑で理解に苦しむことも多いのだが、反対に友人が死んでしまった際に残された側がいつも口に出す言葉は一緒なのだ。

私はそれこそ、

「残された側はいつも一緒の感情を抱くのに、死ぬ側は多種多様な考えを持って死んでいくのがまさに死んでいく理由だ」

と思っている。

残された側は社会に適応できる内面世界だから生きていけるのだ。友人が死んだとしても、友人が死んでしまったもの同士で共感し合い、心を支え合うことができる。

反対は言いたくないから言わないが、そのまま逆の論理展開をすれば容易に理解できるはずだと思う。

そもそも、病んでしまう原因が「人とは違うこと」なのだから、人との違いを受け入れられるような人間になればいいだけの話なのに、現状世の中はそうはできていない。世界の理なのだから変えられるわけではない。

病んでしまった人の心は、そう簡単に改善なんか出来やしない。軽くなることはあるが、本質は変わらないまま生きていかざるを得ないのだ。だからこそ未来が見えなくなっていく。よりひとりぼっちになっていく。

それでいつしか。



彼らが死んでしまったことに対して涙を流したところで、命は蘇らないのに。

不死鳥の涙ならまだしも、その涙から、私たちはただ脆く醜く馬鹿な人間であることに気がつくべきなのに。

人間は、その現実を受け入れようとすればするほど、死に向かって行ってしまう残酷な仕組みの上に立っている。

そんな矛盾に気がつき、心の正義感が耐えられなかった彼らはきっと、その仕組みの上でもがこうとした人たちなのだ。

それに気がつかない、

「友人の死」を受けてすごく悲しい思いをした。私はなぜ彼女を助けられなかったのだろうという後悔がある。

人たちは、きっと物語の主人公なのだろう。

報われるべき人は報われない。

世の中は残酷だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?