見出し画像

公園と社会人


私は夜中に散歩をするのが好きで、1週間に一回はこの時間帯に1時間ほど街をうろつく。静かでしんとした空気と共に、朝起きてから心に溜まった「ざわめき」たちを発散できるから。

といっても、家から近めの場所を歩くだけなので、大したことはないのだが、今日は少し考えさせられることがあった。

気分転換にいつもは通らない思い出の公園を通りがかったときのことだ。

つい最近、その公園が、綺麗に舗装されたらしい。今日見たら、以前よりも「都市部の公園感」がでていて、清潔感があり、公共の施設とでも言えるような、整備された道があり、美しい木々が生い茂っていた。夜中でも少し鑑賞に浸ってしまうようなオシャレ感がある。

私が幼い頃はこんな綺麗じゃなくて、もっと怪我をしやすいような、いや、ようなじゃない、私の足には勲章の傷だらけだ!どうしてくれる!と喚いてしまいそうなくらいには、整備がガタガタだったのに。

「この街も進化したんだなぁ。私はどうだろう」

なんて、自分と公園をあたかも共に育った兄弟かのように見立て、内省しようかと思った。それくらいには本当に美しく市内からのお金が出ているのだろうというくらいには、素敵な公園になっていた。

そんな内省を始めようかと思った矢先、公園の木の下で若い男性社員2人がうずくまっているのが見えた。

酒の飲み過ぎで嘔吐している一人を、もう一人が一生懸命介抱していた。


いくら涼しくなってきたとは言え、暑い中で誰だって吐きたくない。多分、すごい嫌なお酒を煽ったんだろうなと思う。介抱者の表情がそれを物語っていた。

彼ら2人の経歴や存在は何も知らない。知り合いでも友人でもない。

事情もわからないし、そもそも会社の飲み会なのか、会社帰りにプライベートで愚痴りすぎて勢い余ってしまったのか、はしゃぎすぎたのかわからない。

でももし私が同じ立場だったら、最悪の気分だと思う。なんのために会社に行って帰ってくるのだろう、自分がゴミのように思える気がする。

そこまでして会社に行くならいかなければいいのにな、と思う反面、そこまでして行くのが社会人なのだという現実もまた事実で、私はすごく悲しくなった。

公園で駆け回った時間や傷は、成長の肥やしになるだろうけど、吐くまで飲んで生きていかなければならない意味ってなんだろう。大体アルコールなんて害を及ぼすものでしかないのに、それを飲まざるを得ない社会ってなんなんだろう。


と思ってしまった。

完全に私の一人妄想なのだが、

もう少し、社会全体が楽に生きられる状態であって欲しいな、と思う。


今日の散歩は自分の世間の甘さを実感した散歩だった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?