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まわたのきもち 第19号

「つながり」

人とのつながりが大切だということを、否定する人はまずいないだろう。

僕自信も、人とのつながりを大切にして生きてきたつもりではある。もちろん、41年間生きてきて、何となく途切れてしまった繋がりもあるし、あるいは意図的にそうしたつながりもあるし、逆に今、助けてもらっている昔からのつながりもある。

学校の長期休業中は、教科の勉強を大切にしつつも、それだけではなく体験活動の楽しみも味わって欲しいと考え、製作体験の機会を設けることを常としている。そこで講師をお願いしているのは、僕の個人的な知り合いであるミク氏だ。彼女の実家は、たびたびこのエッセイに登場する僕の母の実家と近所だった。しかし、その町で会ったことは一度もなく、そのことを知ったのは、僕の前の前の職場で、彼女とビジネスでのお付き合いがあった時だった。彼女は僕の従兄弟、つまり母の実家に住む、母の甥と同級生だった。

僕の従兄弟「ケイちゃん」は、生まれつき障がいがあり、寝たきりだった。話すことも、座ることもできない従兄弟だったが、盆暮正月はみんなで食卓を囲み、専用の椅子にすわったケイちゃんを含め、いとこみんなで夏には花火を見に行った。何より、ケイちゃんを第一に考える家族は暖かく、そんな母の実家の居心地が大好きだった。仕事でミク氏とのつながりができた時、そのことを叔父に話しをしたら、「成人式にも来てくれたし、バレンタインとホワイトデーは、やり取りしているよ」とのことだった。

ミク氏が結婚し、僕も転職したりで、連絡が疎遠になって数年が経った2016年2月10日、ケイちゃんが心臓発作で亡くなった。その訃報を聞いた時、遠く離れた地で僕は教育行政の中にいて、お通夜の日には、議会での提案事項を抱えていた。議会が終わってから4時間ほど車で走り、告別式には何とか間に合った。告別式の最後、叔父は喪主挨拶で、ミク氏とケイちゃんのつながりに触れ、彼女がケイちゃんに宛てて書いてくれた手紙を紹介した。今回は彼女に了解をとっていないから詳しくは紹介できないが、印象的な言葉があった。


「人は自分の知らないところで誰かの人生に影響を与えるもんなんだね。」


僕はミク氏の紡ぐ言葉に感動し、どうしても感謝を伝えたくて、告別式が終わった後に、数年ぶりにミク氏に電話をした。あの時電話をしなければ、今も疎遠なままだったかもしれない。そういう意味では、ケイちゃんはケイちゃんの知らないところで、僕にも影響を与えたのだった。

イデアの子どもたちは、今はクリエイターとして独立したミク氏のことが大好きで、製作体験が終わった後は、自発的にお手紙を書く。20年以上前、母の実家があるミク氏の故郷では、一度も会ったことがなかったのに、ケイちゃんが繋ぎ止めてくれたミク氏との前前職のお仕事の繋がりは、今やイデアの子どもたちにも影響を与えている。実に不思議な縁だ。

これから増えていくであろう子どもたちのつながりが、願わくば善いものばかりであって欲しいと願ってやまないが、そんなことはあるはずもない。彼ら、彼女らを傷つけるつながりも出てくるだろうし、苦しめるつながりもあるだろう。「置かれたところで咲きなさい」と、何人かの高尚な先人たちが言っているが、僕はそう思わない。人間は植物ではない。自らの足で歩くことができ、自分のいるべきところを決める意思も持てるのだ。高尚な先人に対し生意気であるが、僕は「自分らしく咲けるところを探しなさい」と考えている。そのためには自我である。自我を確立するために、たくさん学び、たくさん体験し、そしてたくさんの人と関わってほしいと願っている。

イデアはそのためにある。人間関係を学び、もちろん教科の内容も学び、自我を確立していくための施設である。好きなことは好き、嫌いなことは嫌い、したいことをしてみる、そして、やりたくなくてもやるべきことはする。そういう体験を繰り返し、善い繋がりを作るための自我を確立してほしいと思う。



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