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ダンスが小説に、小説がダンスになった。 #ヒマつかんせん

 
掌編小説『花花(はなか)』

 花花の両腕は右へ、左へ、上がったと思ったら床へ、交差して、別れて、また一緒になる。足は空へ、腰はバネのように、頭は雲の上。部屋は明るい。南向きの角部屋。小さな窓から見下ろすと、外には誰からもあてにされない信号機が静かにそこにいる。

 冷蔵庫からペットボトルを取り出し、振る。ふたをねじると音がして、ソーダが膨れ上がって右手を濡らす。

 花花は、世界の夢が覚めるまでずっと踊っていることに決めていた。なぜなら医師が言うには、花花の脳脊髄液はときおり泡立っているらしい。そのせいで踊りが止まらなくなるのだそうだ。小さいころはよく、着替えの途中で足に花柄のパンツを引っかけたまま踊った。庭の花壇の土にまみれてくるくる回っていたこともあるし、からだのおかしな振動で牛乳のコップをひっくり返し床に白い絨毯を引いたこともたくさんある。若かったママは何度も検索して、本を買って、いろいろな病院の予約を取って手紙を書いたけれど、結局それは治るとか治らないとか、nとかシングルとかの式で解ける問題ではないのだ。だから花花はもう決めた。学校はないし、宿題がとっくに終わっても誰も会いにこない。ママは仕事でいない。

 頭のうしろで小さな泡が湧いている。それを感じると何だか嬉しくなる。今世界で動いているのはこの泡たちだけなのかもしれない、と本気で思ったりする。

 もう一度ふたをねじる。しかし泡はさっきまでのいきおいがない。手の甲で死んでいく。泡がひとつ割れるたびに命がひとつ消える気がして、ああもっと踊っていなくちゃいけない。空気に触れてはいけない。街にも部屋にも誰もいない。花花はスキップで冷蔵庫まで行き、新しいペットボトルを出してくる。振る。ソーダが膨れ上がる。

 両手は床へ、耳の後ろへ、誰もいない場所へあいさつをする。交差して、別れて、またつながる。頭の中で泡が立つ。ここから指先へ足元へ、管をつたってソーダが流れていくような、そんな心地よさがあって、だからいつまででも踊ることができると思う。でも早く目が覚めてほしいとも思う。



 



 この小説は、あるダンスを翻訳機にかけて書きました。

 杉本音音さんのこの動画です。


 この動画は、ダンサーの杉本音音さんのInstagram( https://instagram.com/neonmero112?igshid=g95ln27jx0wb )で始まったクリエーション企画『#ヒマつかんせん』の最初のダンスです。このダンスを、さまざまな「つくる人」たちが自分の翻訳機にかけて詩、写真、手遊び、影絵などの作品を生み出しています。それを音音さんがダンスに翻訳して、それがまた翻訳されて、、、と作品がどこかで繋がりながらどこかへ広がっていく、魅力的すぎるクリエーションです。どこまで行っちゃうんだろう、、、とずっと見ていられる。

 私が上記の小説をDMしたところ、音音さんがこの小説からまたダンスをつくるとおっしゃってくださいました。ダンスが小説になり、その小説がまたダンスになる。ダンスは体だけで表現するもので、小説は文章だけで表現するもの、普段は交わることのない表現方法がひとつの流れをつくったときどんな感覚が生まれるのか、とてもわくわくわくわくわくわくしました。

 

 そして!

 音音さんのInstagramとYouTubeに花花のダンスがアップされました!

\(^o^)/ \(^o^)/ \(^o^)/ 

 ダンスが小説に、小説がダンスになりました。小説のイメージたちをたくさん拾って踊ってくださっている(涙

 いえ、私からの余計な言葉はやめます。こちらがそのダンスです!!!


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