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日本の子供は不幸なの?

だろうか?

先日ユニセフで発表になった子供の幸福度にについての調査。身体的健康面ではトップである一方で、精神面でワースト2位という結果とのこと。日本は自殺率が高いから、それが大いに反映されるこの結果はあまり当てにならないという意見もあるようであるが、子供を育てている母親として、この結果に驚かないのは私だけだろうか。子供の不幸(なんて言葉だ!)を誘因することを、勝手に推測し列挙してみた。

原因を探る上で、総合ランキング上位5か国に、オランダ、デンマーク、ノルウェー、フィンランド、スイスが入っているという事実を大いに参考にした。

<わたしは世界の中心?!>私のスウェーデン人の同僚や、その他北欧出身の友人に話を聞くと、どうやら北欧諸国の子供たちは「わたし(ぼく)は世界の中心」と本気で思っているそうだ。そう感じられるような教育を小さい頃から受ける言う。聞いた人が皆それに同意するのが面白い。そしてそれって本当にすばらしい。「他人に迷惑をかけないように」とか、やたらと空気を読まされる日本と大きく違う。それは自己肯定感の醸成に大きく影響してくる。この自己肯定感こそ、今の子供たちに欠けてしまっているものなのではないだろうか?

<大人に気を使って生きている子供たち>子連れで海外に行ったり、または出張の時に観察していると、いかに日本は子連れの外出で気を遣わなければならないかを実感する。だってベビーカーを電車に乗せるかどうかが議論されるって、ちゃんちゃらおかしい。と思うのだけど、それがおかしくない国が日本なのである。大人が気を使うのはもちろん、子供だって気を使っている。やんちゃだけど繊細なタイプの息子は、それこそ注意をされないように気を付けていることがあるのも気にかかる。だって子供だよ。

<親が上?子供が下?>よく「親に向かってそんな口を利くな」「言うことを聞きなさい」などという言葉を耳にする。私はその言葉に違和感を覚える。そのベースにある理論は、「大人は子供よりも上の立場」ということなのだろうか。だって、「上司に向かって」とかと同じことよね。親であれ、年上であれ、年下であれ、後輩であれ、口の利き方は平等に敬意をもったものであるべきではないか。日本には、数多くの見逃せない表現が蔓延していて、子供の立場が「下」になっていることがあるように思える。

<日本の教育システム>大学に入るために勉強して、大学でほんわかする。これってどうにかならないのかしら。高校生?せめて中学生くらいまでのびのびと遊び、好奇心の向くままに自由な子供生活を送り、大学あたりからちょっと本腰入れて勉強してみる、という欧米形式に移行しないものだろうか。私は、中高の頃、とってもがり勉タイプだった。でも試験の後、見事に覚えたことを忘れ去り、次の暗記を始める。それにどんな意味があったのかな・・・。詰め込みまくった日本史、世界史、ほぼ記憶にない。大学でいざ本番!今こそ人生で大いに学ぼう!というタイミングでスイッチが切れてしまった。燃え尽き症候群だ。人って、何年も何年もそう熱心に勉強に打ち込めるものじゃないのかもしれない。

<子供に課せられるルール>小学校からの「廊下を走らない」「私語を慎みなさい」「意見を言うときは手を挙げて(勝手に話さない)」に始まり、学年が上がるにつれて「ピアス禁止」「地毛が茶色い場合は黒く染めなおす」「スカートの丈はひざ下xx cm」こんなルールってまだあるのかしら。本当に意味があるのだろうか。「前にならえ」を見た同僚のチェコ人は、日本は子供たちを軍隊にしたいのか?と驚いていた。

上記の要因が必ずしも子供の不幸に直結しているとは思わないが、大人になってからも数々の弊害を生むこともあると強調したい。小さなころから他人を意識して集団の大切さを学ぶ日本人は、協調性があり謙虚である。日本人の美しいとこであり、私はそんな日本人が大好きです。そんな謙虚な日本人が、頑張って意見を言おうとしている時に、手を挙げなさいとか、先生の話が終わってからにしなさいとか、意味のある質問をしなさい、と言われ続けると、意見を外に出せない大人が出来上がる。更には空気を読むから、自分の意見が相手に不都合だった場合に遠慮したりで、余計に言えなくなる。(私はその傾向が大いにある涙) そういうことを繰り返していくと、もう、周りに流されていた方が良いのではないか、上司の意見に合わせてそれを応援するコメントだけしていけば良いのではないか、というザ・日本人の完成だ。私は今の外資系の企業に入り、この点を変えることにほんっとうに苦労をした。大人になってからではなく、子供のうちから鍛えておきたい技術だった。「自分の思っていることを率直に言うこと」「相手にわかりやすく話すこと」「自分の意見が少数意見でも堂々と伝えること」。これらができないと、外国人の中では絶対に負けである。静かな日本人がまた黙っている、何を考えているか分からないがニコニコしている。少し前の私であり、油断するとそれに戻る傾向がある。教育や環境って良くも悪くとても大いなる存在である。

何が言いたかったか。子供が不幸であるということは、日本の将来も不幸であるということ。そしてそれを変えられるのは今の大人であるということ、である。小さくても少しずつ行動したいと思いました。皆さんは何の一手を打ちますか。

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