ある日、コーヒーのような存在になりたいと思った
わたしの目標。
コーヒーのような存在。
コーヒーが好きなのはもはや周知の事実ってくらいわりと常にアイスコーヒーを飲んでいる。わたしの好みは酸強めのアイスコーヒーなのです。
(もっと好きなのはプロテインだと各所で思われている気はする)
コーヒーも紅茶も水出しがいいな。ラテも好きだけどカロリーがきになるから、結果いつもブラックのアイスコーヒーorアイスティーに落ち着くのです。
そんなある日、コーヒーを飲みながらわたしは、私を大切にするために、自己否定しないで済む理想の状態、というか存在を考えてみた。
それはコーヒーのようなものだった。
嗜好品であり、好みが分かれる。けれど、自分流にアレンジして好きになることができる。いろんな姿になれるけどベーシックに何もしなくても美味しい。
こだわろうと思って調べるとどこまでも深く、繊細で環境に左右されるからとても、大切にされる。安い味にもなれるけど、工程を経るとかなりの上物にだってなれる。
そして、いつも気づけばそばにいて、息抜きになる。リセットになる。切り替えになる。素敵な風景に共にいるコーヒー。
背伸びしてもしなくても、常に共にいるコーヒー。
そして気づけばコーヒーなしでは生きられない。
わたしも、そんななくてはならないような存在になりたい。ないと無理!と思われることで自分を認めたいのだと思う。
でも、もちろん、人からの価値観だけではなく、自分を大切に育てて高級品になりたい。
わたしは自分という存在が周りから認められたいという中途半端な理想を持っていることがずっと恥ずかしかった。自分がないようで、そんなんじゃわたしは素晴らしい理想体にはならん!と考えた。
し、考えたし、考えたし、考えた。
そしたら、行き着いた。
わたしは、ひとが好きなのだ。誰かに、とかではなく、ひと、という存在と分かち合いたい。
どんな人にも寄り添える存在になりたいと強く望んだ結果、人に認められないと自分に価値が見出せないんだと気づいた。どんな人の価値観も身体に入れられるようになりたい。
わたしは人生ずっと人が嫌いだと叫んできた人間だから、
こうして、人が好きで、関わりたい〜!と声を大にして言えるようになったことが正直恐ろしいくらいなのだ。
はあ、生きてると世界って変わるし、開けるんだなぁ。
なんとなく描き始めたせいで終わりは全く見つからない。けれど、そういうのがわたしなんだと思う。
いま、伝えたいことを全力で伝え続けていきたい。
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