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女の子らしく育たなくていい、と願うことも親のエゴなのかもしれない

私は小さいとき「女の子らしくないこと」で親に心配されていたらしい。

おままごとやお人形遊びには全く興味を示さず、遊びと言えば、ひたすら絵を描いているか歌を歌っているか。

(これはなんとなく記憶に残っているのだけれど)幼稚園のときも、おままごとやセーラームーンごっこをしている友達を尻目に、園庭を一人でぐるぐる歩きながら、遊んでるみんなの様子を見ているのが好きだった。

小さい頃から母親にはりついて、自然と料理も掃除も習得していた弟とは違い、親のする家事に全く興味を持てなかったし、当然うまくなかった。

加えて(今も別に美人な訳ではないけど)幼児期は親の目から見てもけっこう不細工で、「将来嫁の貰い手はいるのだろうか」と父は本気で心配したらしい(失礼!笑)。

子どもの頃に限らず、私が成長してからも、親の心配は変わらない。

特に母は、早稲田と上智に受かったときも「早稲田もいいけど、上智の方が女の子としては印象がいい」とアドバイスしてきたり、大学生の私が飲み会ばかりにお金をかけ、洋服を買わないでいると、「これは絶対洋服にしか使っちゃダメ」と、洋服代のためのお小遣いを送ってくれたりした。

私は別に、女の子らしくない言動を否定された、というネガティブな印象を親にたいして持っているわけではない。

「きっと女の子らしい方が将来お得だよ」と暗に示したかったのだろうし、そういう時代を生きてきた親から見たら、当然そうなると思う。

※※※

でも、娘が生まれてからは、やっぱり上記の経験が頭にあるからか、「娘はなるべくジェンダーフリーに育てたい」という思いが必要以上に働いて、ピンクのものを買うのに抵抗があったり、たくましく生きて欲しいと思い、おままごとというよりも、積極的に外遊びに連れていく自分がいた。

。。。なんだけど、そんな親の意思に反して、娘は想像以上にいわゆる"女の子らしい"女の子だった。

私の幼少期と違い、一日中おままごとをしているし、お人形のお世話をかいがいしく焼いている。家事を真似したがり、洗濯物をたたんだり、楽しそうにクイックルワイパーや布巾でお掃除したりしている。料理にも参加したがる。

最近服にもこだわりが出てきたので自分で選ばせると、見事なまでにピンクばかり、なのだ。

もともといわゆる女の子らしい性格なのか、それとも周りの影響で女の子らしくなっていくのか、わからない。

そして「これからの時代は女の子らしいことが得になる時代じゃない、むしろたくましく育って欲しい」と願うのは、かつて「将来お得だから女の子らしく育って欲しい」と願った親と、構造は一緒であり、親としての私のエゴなのかもしれない。

娘が、ありのまま、自分らしく生きていけたら、と思うけど、自分らしくって難しい。得体が知れないなぁ、と思う。

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