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【繊細さん】自分を生きるために大切なこと


ちゃんと嫌う

私はどうやらHSP気質。繊細さん。
でも立ち振る舞いはあまりそう見られない。

わりと自信満々に見られたり、細かいことを気にしなさそうに見られる。

以前は自分でもそんな性格だと思っていた。

これはハキハキ話す口調や、少し難しめの言葉を使いがちだったりや、感情に流されない強めの態度を取りがちな癖から来ると思う。

毒舌だともよく言われた。

感覚が違うらしいのだ。自分では普通のツッコミのつもりが、結構キツいらしくて、
それがわからないことはいまだにあって、たびたび臆病になる。

自分の思ってることを率直に言って、笑われたり、泣かせたりしてしまうのが、ひどく怖い。

でもそれ以上に、私は私でいたい。

離婚や病気や子育てによって、自分の心を見つめるきっかけをいただいてから、私はビビリですぐお腹を壊すし、内心すぐキレてるし、忙しくなるとすぐにキャパオーバーしてパニックになるし、と知らなかった(認めたくなかった)自分に出会うことが多々あった。

なにより、そんな時も、全然動揺してませんよ、的なポーカーフェイスが上手かった。(これももはや癖だった)

それまでは、

失敗したらいけない
間違えたらいけない
正しいことをしないといけない
正しくあるべき

が強くて、

そうあれば幸せでいられると信じていて、

私自身の本音なんて、私の感情なんて、

邪魔なものでしかなかった。



、、、強い人に映るよね、そりゃあ。


虚勢を張りまくって生きてた。


アドラー心理学の『優越コンプレックス』を知った時は、

私のことだ!

と衝撃だった。


優越コンプレックスをざっくり説明すると、人より優位に立ってると思えることで、自分の劣等感を隠す、というもの

劣等感なんて、微塵も自覚したことなかった。

でも認め出したら、そればっかりだった。


ボロボロと、劣等感を隠したい虚栄心の仮面が剥がれたら、

ビビリの小さいわたしだった。

(ちょっと鬼滅の刃の放送中のあの鬼とダブるw)


ビビリの小さいわたしは、イヤを言えない。

「嫌い」を言うのが怖い。



あっけらかんと「夫が大嫌い」と言う同僚の言葉に、ほんとにドキッとする。ズキっとする。心がヒリヒリする。


嫌いなのに一緒にいる意味がわからない。


それが小さいわたしの正直な答えだ。
今気づいた。


嫌いと言う前に、私は一緒にいるのをやめる。

嫌い嫌いと思いながら、嫌いな人と一緒にいるのがわからないんだ。

わからなかったんだ。

でも、、、
長年誰かと一緒に暮らすって、そういう段階もありってことなのかも。

変化する関係性の中で、選ぶこともあるのかも。

でも私はイヤだったんだな、と思った。



そして私は、今、声を大にして言いたい。
はじめて、心から言おうと思う。


親が嫌いだ。

あの人たち、嫌い。


こう思うことは、ものすごく悪いことだと信じてたみたいだ。

そう思う自分を全く受け入れられなかったみたい。



先日の記事に書いた価値観の相違と転換の実感から、私の潜在意識がだんだんと傾いてきていたみたい。


そして、

言ってみて今感じるのは、

嫌い、は、自分を守る。

決して攻撃ではなかった。


親を嫌う、というのは、いわゆる反抗期で、

私は反抗期とは、自立期だと思ってて、

親と違う価値観に目覚め、それを確立していく時で、

それまで価値観の基準であり中心だった親との決別、つまり親離れ。


これが、私の内面で、ずっと迎えられなかったんだな、と、

あの人たち嫌いだ、とやっと、やっと、認めたら、

やっと親離れできそう。


50なんだけど!笑笑


いや笑えん。。


現場からは以上です。

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