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本当に読書好きなのかが、分からなくなった話

私は本が好きだ。
本という媒体が好きだ。
紙の感触も好きだし、読み進めて残りのページが減っていくのを見るのも好きだ。
知らないことを知ることも好きだ。
読みたい本リストは無限に増えていくし、読んだ本リストも日々更新している。

でも最近、本当に読書が好きなのか分からなくなった。
読んだ本はどんどん増えていくが、浅い読みしかできていない気がしている。
表紙は覚えていても内容を覚えていない本が多い。
この本でこれを掴んだ!という感覚もほとんどなく「なるほど〜、実践してみよう。」と思って終わり。結局いつの間にか忘れていた。

ずっとこれでいいのか気にはなっていた。でもどうしたらいいのか分からない。
先日たまたまこの本を読む機会があった。

目から鱗だった。
ファスト思考とスロー思考。
思い返せばいつも正解を求めて生きてきた。
それがここにも現れていたのか、という思いだった。
いつもこの本の正しい読み方は?と考え、どう思うのが正解なのかな?と答えを求めて読んでいた。
しかし、世の中白黒の二元論で語れるものばかりではないし、あらゆる分野にグレーはある。憲法や法律だってそう。

ましてや本は作者でさえ、気づいていない意図が隠されていたりする。
読解に正解はない。それが心もとなく感じたり、もどかしく感じる時もある。
解釈の余地を与えられるということは、自分で考えなければいけないということ。
自分で考えるのはしんどい。
まして我々現代人のように、日々仕事で頭を使って疲れている脳みそに、読書でも労働を強いるのは正直めんどくさい。
しかしそこまでしないと、本当にその本を読んだとは言えないのではないか。
今まではとにかく次のページを早く、と何かに追い立てられるように読んでいたが、上滑りしてどこかへ落ちていっている気がしていた。

しかし年間200冊近く読むので、全ての本を深く読み込むのは正直無理・・・

でもこの本は、と思う本は、1枚にまとめるプロセスを通して深く読み、自分のものにできたら、どんなに人生が豊かになるのだろうか。
ちなみにビジネス書などの既知を既知にする読み方についても、能動的であれ、と書かれていた。

最後にこれは読書法の本だが、生き方にも繋がる部分があった。
筋金入りのめんどくさがりもこれで心を入れ替えられるか・・・?
「紙1枚まとめ」を続けられるか、これからの生き方も自分次第。

今日はこの辺で。

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