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日曜日の住居学

昭和の時代に活躍した建築家、宮脇檀の本を読んでいる。

住宅設計を得意とする宮脇さんだが、男と女という観点で住居を考える文章を残しており、これがとても面白い。

まず、そもそも家とは何か?という問いに対して、いろいろな考え方があるが、「容器」と「道具」という要素を考えてみる。

家とは生活の巣であり、暮らしを入れる容器である、という考え方。子供を育て、長い時間を過ごす家は、穏やかで安らげる場所が良いとされる。
子宮という容器を持つ女性のように、薄暗く、遠くから声が聞こえる安らかさ、包まれるような優しさを持つという点で、家は非常に女性的であると言える。

一方で、家は社会生活を行うための道具であるという。
武器や権力など、道具を振り回したりして自己顕示欲を満たす男性は、家に対しても、安らかさだけではなく、外観がかっこいいとか、趣味のものをディスプレイしたり自己顕示的な要素を求める。

どちらにも偏らず、程よく女性的で、程よく男性的な要素がある家が、「いい家」である。

しかし、現代の日本においては極端に女性に偏った、女の家が非常に多いという。昔は、まさに家父長制で、父親が一家の主としての威厳を保ち家づくりも担っていた。しかし徐々に父親は企業戦士として会社のために働くようになり、家のことは奥さん任せになっていったことが原因であると。※上記書籍内の90年代のNHKの調査によると、起床在宅という「起きて家にいる時間」は男性でたったの4.5時間だったそう。女性は10時間)

このことを知ってから他人の家を覗く機会(友人宅や内見などで)があった際に、上述の観点で見てしまう。。特に子育てをしている家庭においては、父親が生活している匂いをあまり感じない。家に旦那の居場所がない、というのは今ではある程度事実なのだと思う。

東京とソウルのそれぞれの団地100軒で、日曜日の夜八時に父親が家の中のどこにいるかを調査した結果によると、日本のお父さんは1カ所に集中していない、家の中をうろうろしている。対して韓国のお父さんは8割型流しの反対側の椅子に厳然と座っているようだった(※90年代の調査と想定)

これは日本企業のおじさんがなかなかリモートワークできないのも納得である。悪いことではないが、家よりも会社の方が居心地がいいんだろうな。。

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男女という二元論は現代においてはナンセンスだが、

家づくりにおいて、安らかさ以外の要素も合った方がいい、ということはその通りが気がしている。

教育上の観点では、ある種の父親の緊張感を感じる部屋があってもいいし、家主の趣味や頭の中の世界を、日常の暮らしの中で感じられることは、訪れる人にとっても「いい家」だと思う。

資産価値の高さなんて無機質な尺度だけを追い求めるのではなく、自分達にとって居心地がよく、安らげる部屋であること、自分の生き方や大事なものを表現すること、どちらの要素も織り交ぜて家づくりをしていきたいと決めた。

写真はあまり関係ないが先日行った現代美術館で行っているジャン・プルーヴェ展にて。無骨でロマンを感じるデザインが「男の家」にはぴったり?と感じた。(なかなか買えないけど)

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