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12.自分の居場所を自分で勝ち取る

プロローグより続いています。


季節は1月。
人に構っている余裕なんて無かった。

母や弟の様子も心配だったが、
自分の居場所を作ることで精一杯な私がいた。

その後私と母は家に戻れず、
着の身着のままで祖父母宅に身を寄せた。
でも、以前のような幸せな4人家族は
もうそこにはなかった。
母の怪我が治ってくると
祖父母の怒りは母に向かった。
あれだけ結婚を反対したのに!
そんな戻れない過去や様々な不甲斐なさが母へ向けられていった。

一方母は、
置いてきてしまった3歳の息子(弟)のことで頭が一杯だった。
食料を買っては、玄関前まで何度も何度も届けていたらしい。
義父が弟を溺愛していることは分かっていた。
弟には手は出さないだろう。
でも、既にお金が底についていることも
売るものなんて何一つ残っていないことも知っている。

ご飯食べてるのかな?
会いたいな。

そんな想いに私も胸を締め付けられそうだった。
母も何度も自宅に足を運び呼び鈴を鳴らすが、
カーテンで締め切った家のドアは
別の何かで施錠され開けることすらできない。

それでも、当時の私には余裕がなかった。
大人たちがそうこうしていることを尻目に、
私は一人、翌月に控えた受験準備に明け暮れていたからだ。
つい一年前に卒業した中学校へ
我が家の事情を説明するところからはじまった。
先生方は驚いていた。
そりゃそうだ。
たった一人進学先が決まらないまま卒業し
アメリカに行くと意気揚々としていた私が戻ってきただけでなく、
家も家族も失いかけていたからだ。
保護者として付き添う人も誰もいない。

そのうえ私が受けようとしていた高校は、
当時まだ創立3年目の高校では珍しい単位制。
倍率だけでも8倍はある。
以前の担任の先生は「今からでは無理だ」と猛反対し、
大検などを薦めてきた。

でも私には大検を受けるような塾に行くお金なんて無い。
公立の…それも年齢も学年も関係ない
その学校にしか私の居場所は作れないと思い、
一人その高校に行かなければならい旨を説明した。
いや、もうそう決めていた。

だからすべての心配を払いのけて、
卒業証明書などの準備をしてもらうしかなかった。
大人たちは疲弊し、
相談する相手なんて誰もいない。
自分で居場所を作るしか選択肢がなかった。


おそらく一生のうちで一番勉強したのだろうと思う。
朝9時から閉館の夜9時まで毎日図書館へ行き、
中学校一年生からの勉強をすべてやり直した。
中学ではアメリカの高校に向けての勉強しかしてこなかった私は
日本の高校の受験のシステムすら知らなかったからだ。
祖父母宅に帰ってからも必死で5教科の勉強を続け
面接についてはもう何も手を付けずに
ぶっつけ本番と決め込んでいた。

試験当日。
建って間もないとても綺麗な
オフィスビルのようにそびえ立つ学校に一人向かう。
筆記試験の後に面接。
休みの日には何をしていますか?
男の先生にこう聞かれたことを今でも覚えている。
大の字になって、広い公園で寝ています。
私はそう答えた。

なにが功を奏したのかは分からないが、
高校に受かった。
願書から何から何まですべて一人で行なっていた。
大人たちを尻目に一人でここまでやってきた。
夢のようなパーティーから倒産に警察沙汰…
たった2ヶ月の出来事だ。
それでもどうにか私は自分の手で、
自分の力で自分の居場所を勝ち取った。

もう十分だ。
私は私の足で生きていく。
そう自分に決意した。





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