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10.家族で食べた最後の食事

プロローグより続いています。



高校でのクリスマスパーティー。
友人からドレスを借りて参加した。
各ホールに沢山の照明やミラーボールが設置され、
オードブルやローストビーフ、様々なケーキが並ぶ。
高校の中とはとても思えないほどだ。
こんなに華やかなパーティーを見たことのなかった私は
どこか夢心地な気分でその中に浸っていた。


でも、心の中は祖母の言葉が重くのしかかる。
何があったの?
一体何があったというの??

言われたとおりに荷物を詰め込み
私は冬休みに帰国した。
半年振りの日本。
成田空港は何も変わらない。

迎えには、母と義父と弟が来ていた。

麻貴、お帰り!
久しぶりの日本の景色を満喫したいだろうと思って
今日は電車で迎えに来たよ!!

義父はいつもより
満面の笑みを浮かべているように見えた。
モノレールや電車を乗り継ぎ自宅へ帰る途中、
いつも行っていたすし屋に連れて行かれる。
大将が出迎えてくれて
いつもと何ら変わらないかのように思えた。
ただ、にぎり寿司を人数分だけ注文していることだけ
いつもと違っていた。
その横で、しきりにコソコソ母が義父に何かを話す。
それを無視し跳ね除けるように
私にアメリカでの生活を矢継ぎ早に聞く。


一週間も経たないうちに、その理由が分かった。
義父の会社が倒産していたのだ。
厳密に言えば
私がアメリカに発つ前に倒産していたらしい。
時代はバブル崩壊の真っ只中だった。
それにもかかわらず、
母や祖父母、ひいては義父の親戚一同が反対する中、
私をアメリカの学校へと送り出したということだった。
なんとかできると思っていた義父だったが、
負債は義父の想像を遥かに超えていたのだろう。

語学スクールのものだけではなかった。
バブル絶頂期に、
その他不動産業、株式投資など
さまざまなビジネスをやっていたらしいが
中学生から高校生になる私は知る由も無く、
ただただ急激に変わる生活に唖然とするしかなかった。


二週間後、私の中ではアメリカの高校に戻る予定だったが、
もちろん戻れるはずも無い。
祖母はそれを私に伝えることが出来ずに
「大事なものを持って帰りなさい」とだけ私に伝えたのだ。
荷物も手持ちで持って帰れるだけだで、
友人誰一人にもお別れすらできなかった。

そして、幼稚園に通っていた弟が通えなくなり、
みるみる家の中のものは換金のために消えていった。
しばらくすると、家が差し押さえられていたことも知った。
意味は分からないながらも、
裁判所から届く通知の漢字は読むことが出来た。

急激に変わる状況に
何がなんだか分からないでいた。
そんな状況を裏付けるかのように、
日増しにこれまでの講師たちの賃金やら金融会社からの
催促の電話が鳴り止まない。
電話線ごと抜いて、
私はただ呆然と眺めては自分の無力さを感じていた。


義父は部屋に閉じこもり、
物を売っては安いウィスキーを買い
朝から晩まで飲み明け暮れた。

帰国してからたった数日。
私は行き場も居場所も無かった。
友達はみんなもうすぐ高校二年になるという冬
高校にも戻れない。
家も家族のものではない…らしい。

広いその家が日増しにガランとしていく。
気付けば絵画がなくなっている。
装飾するものなんてもう何もない。
そして、次に取られる予定の家具に(後に動産執行と知る)
印が付けられていく。

食事は、近所に住む親戚の叔母が
スーパーの袋一杯に食料を入れて持ってきてくれていた。
義父には閉じこもった部屋の前に食事を用意し、
母と二人無言で食べる。

惨めで、情けなくて
でも怒りのやり場がなくて…
泣いてばかりの母を眺めるのが精一杯だった。



義父はそのうち息子(弟)まで取られると思ったのか、
鎖をドアノブにぐるぐる巻きにし
南京錠で締め切った部屋に弟と二人篭るようになる。
怖かった。
この先、私や家族がどうなるのか分からなくて
16歳の私は怖さではちきれそうになっていた。

つい数週間前のアメリカでのパーティーは夢だったのだろうか。


ある晩、酔っ払っているのか泣いているのか分からない義父が
私にこう言ってきた。

麻貴ごめんな。
ピアノ、明日売ることになった。


1日ごとに状況が変わる中、
消化できない気持ちでどうしていいのか分からない私は
泣きながら一晩中ピアノを弾いた。
いつもは近所迷惑になるからと夜弾くことは禁止されていたが、
その時は誰も何も言わなかった。


お願いだから、誰か何か言ってよ!

心の叫びをピアノにぶつけるものの
もう誰も何も言わない。
みんな自分のことで一杯なのだ。
何も言われないことが
こんなにも心細いものだと初めて知った。

翌朝、ピアノが売られるところを見たくなく
私は一人で街中を歩いていた。
私はこの時から、
楽譜というものを見ることが出来ず
ピアノというものに触れることができなくなった。


泣くに泣けず…でも、もう限界だった。
どうしたら良いのか誰に何を言ったら良いのか
誰を頼りどの大人を信じたらいいのか
分からなかった。
そんな私を見かねた祖父母が、
私の大好きな叔父のところへ数日行くように薦めてきた。

祖父母もどう助けて良いのか分からなかったのだろう。
せめて、私の気持ちだけでも温めたかったのかも知れない。

新幹線のチケットを受け取った私が
叔父の家に行く前の晩、
珍しく義父と母に外食に連れて行かれた。
二人が揃っているところを見たのは久しぶりだ。

連れて行かれたところは
これまでとは全く違う場所。
昔からあるような薄暗いラーメン屋。

私のお小遣い、まだ残ってるから出そうか?
ラーメン三杯分でも心配だった私は
小さな声でこう切り出した。

大丈夫。気を付けて。
義父なのか母なのか…
下を向いていた私は思い出すことが出来ない。
そう誰かが一言だけ言い、無言で食べた。


このラーメンだけは一生忘れない。
なるととメンマが入っただけのシンプルなラーメン。
この家族で揃って食べた最後の食事。
一生忘れない。




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心理カウンセラー小園麻貴(こぞのまき)
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