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7.新しい家と私の決意

プロローグから続いています。


小学校を卒業し中学生になると、
部活も早々に帰宅し、弟をベビーカーに乗せてよく散歩した。
見た目も大人っぽかった私は
若いお母さんに見えたのだろう。
お母さんとお散歩いいわね~
とよく言わることがあった。
私もそれを否定するでもなくニコッと笑い
弟と街中や公園を練り歩いた。

干支で言えば一廻り、12歳年下の弟。
本当に可愛かった。
そのうち部活もほぼ行かなくなり、
学校が終わると自宅に直行することが多くなった。
オムツを取り替えたりご飯のお世話やお風呂…
なんでもやっていた。

やることなすこと小さなお母さんだ。
そんな風に弟と一緒に過ごす時間が
本当に好きで好きで仕方なかった。

弟が生まれてしばらく経つと、
私の部屋が庭の離れからお茶室に再び移された。
離れがあったその場所に、新築の家を建てることになったのだ。
母は目を輝かせていた。
ドアノブやカーテンのタッセル一つまで
カタログや現物を交互に見ながら
毎日楽しそうに選んでいた。

すべてが母の夢なのだろう。
母は、これまでで一番幸せそうに見えた。

新しい家は、
南仏をイメージしたような家だった。
壁は真っ白な塗り壁。
パテの跡の重なりがとても美しく
屋根は白に映える朱色の瓦。
玄関を入ると明るい日の光が差し込み、
そこから二階に続く階段を登ると右手にリビングがある。
30畳くらいはあったのだろうか。
落ち着いた面持ちのシャンデリアと
リビング中央の暖炉が印象的で、
暖炉の上には母の好きなモネの絵が飾られていた。

その向かい側には
スポットライトの付いたワイングラスや
お酒が入るキャビネットが配置され、
どこを見渡しても海外の映画やドラマから
飛び出したようにしか見えなかった。

一階には私の部屋や大きくなった時の弟の部屋、
クローゼットルームや客室、バスルームなどがある。

クローゼットルームだけで人が住めるなぁ…
中学生の私はそんなことを感じていた。

洗濯機や乾燥機も、当時は珍しかったのだろうか。
ドイツメーカーBOSCH(ボッシュ)のものを
取り寄せたことを何度も聞かされた。

そして、一階一番奥の角部屋が私の部屋。
ベッドの四隅に金色の玉が装飾された
お姫様のような真っ白なベッドが置かれ、
向かいには机とピアノも配置された。

私は、おそらくこの真新しい家で決めたのだと思う。
この生活を満喫しよう!・・・と。
金持ちだとかお嬢様だとか
言われることに抵抗あったが、
今のこの生活や家族で生きていこうと。
きっと、これから素晴らしいことがあるに違いない。
私はこの家族の中で生きていくんだ!
再婚から3年目。
私はこの世界で生きていくのだと決めていった。

そして、中学二年生になると、
一ヶ月間、フロリダへホームステイに行くことになった。
その頃には、
義父のところで働くアメリカ人やカナダ人講師が
マンツーマンで私の英会話のレッスンをしたり、
時々、大人のクラスに混じって
英語の勉強をするようになっていた。
義父からもアメリカでの生活のことを何度となく聞き、
小さな日本に住む必要はない!
アメリカは広いんだ!自由なんだ!
かつてどこかで聞いたような台詞を
何度となく聞いているうちに
いつしか私はアメリカへ夢見るようになっていった。

外に、外にと目が向いていった。
お金の心配はいらないようだ。
私のやりたいことは、何でも叶えられるようだ。
むしろ、お金で何でも叶えられるのだろう。


決めた。
高校はアメリカに行く。




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