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15.目線の先に私は居ない

プロローグから続いています。



タクシーに飛び乗った私は
当時付き合っていた彼の家に行った。
彼の家と言っても相手も高校生。
当然ながら親兄弟と一緒に住んでいる。
幼馴染の彼だったから、
彼のお母さんも昔からよく知る人だった。
私は必死に頼み込み、
「お母さんには連絡する」という条件で
泊まらせてもらうことになった。


その時何を話したのだろう。
何を考え何をしていたのだろう。
あとは覚えていない。
そのまま私は一週間家にも帰らず、学校も休んでいた。


その日を皮切りに、
私は家に戻ることが少なくなっていった。
家に戻るときには、
母が母の彼の家に泊まる日ばかり狙っていく。
ご飯を作ることも少なくなった。
母にご飯を作っても、
何の期待にも応えられない。

味噌汁も覚えた。
煮物も覚えた。
筑前煮を作ってみたら、
とても上手だと褒めてくれた。
二人でテレビを観ながらごはんを食べる時間が
本当に幸せだった。

でも、そんな母子だけの暮らしも
ほんの一瞬だった。
義父や弟と会わなくなってからまだ1年。
私は、以前にも増して大人な自分を創り上げる。


母の新しい彼と会ってもそつなく挨拶をし、
これまで以上に母の前で笑顔の私になっていく。
でも、あれからまだ一年。
たった一年しか経ってない。

弟はどうしてるのかな。
大きくなったのかな。
まだあの家に暮らせているのだろうか。
母は弟のところに
通っているわけじゃなかったんだな。
時の流れも分からなく、
淡々と脳裏に浮かんでは消えていくものを
掻き消しながら暮らしていた。


恵比寿でのバイトも1年もすれば慣れてきた。
そしてバイトが終われば、
バイト先の人に六本木や西麻布に
連れて行ってもらうようになったいった。
オーナーの方にも可愛がってもらった。
芸能人ばかりの焼肉店やカラオケ店などが連立するところに居ても
もう場違いという感覚すらなくなっていく。
毎回オーナーさんは私を娘のように心配してくれ
埼玉の自宅までのタクシー代を数万円持たせてくれた。
私の事情を薄々と感じ取っていたのだろう。
でも、母が家にいる時に帰る気にはどうしてもなれなかった。
ましてや祖父母のいる家には…
だからオーナーさんにタクシーに乗せられた後六本木界隈を一回りし、
その夜の居場所を探し始める。
そしてクラブやライブハウスで夜通し遊び、
遊んだあとはそのまま誰かの家に転がり込むようになり
そのまま学校へ向かう。
高校3年。
19歳。


その頃になると友人の紹介で
赤坂見附にある会員制倶楽部でバイトの掛け持ちで働くようになった。
化粧も覚え警察官も素通りする容姿だったから、
補導される心配すらない。
そんな中でも学校に通い、
アルバイトで稼いだお金で学費もきっちり納めていた。
やることやってれば、
それでいいと正当化するように自分に言い聞かせる日々。

満たされない自分に気付かぬように、
一瞬一瞬の楽しみたちで埋めていく日々。


ママ、私が心配じゃないの?
ママ、私に気付かないの?
ママ、ママ、ママ…

一人になると、
ふと幼い頃を思い出し心の中で問い掛ける。
幼い頃、賑やかな六畳二間のあの家で
母に抱っこされていた記憶や一緒のお布団で寝た記憶。
動物園へ行った思い出や買い物に行ったこと。
そんなことも頭に浮かぶ。
でも、なぜかいつも母の目線の先に私が見えない。

実の父親にはじまり、義父、そして新しい男(ひと)。
一緒にいるはずの母なのに
いつも目線の先に私が居ないという頭の中の記憶が
ベールのように覆っていく。
そんな想いを感じるたびに、
胸の辺りがズキズキする。
心が痛い。


誰も何も言わない。
誰も私の邪魔はしない。
望みどおりになったのか?
私はこれを望んでいたのか?
様々な変化が急激に訪れる中で
このために私はいろんなことに必死になってきたのだろうか。



ママ、お願いだから教えて。。

これを「幸せ」と呼ぶのですか?







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