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泣き虫

娘はよく泣く。泣き虫。

私に叱られて泣くことも多いけれど、ふと見ると目に涙をたくさん溜めていることがある。
自分であれこれ想像して、悲しくなってしまうらしい。
わりと感受性が強い。

お友達とたくさん遊んだあとにもよく泣く。
それは娘に限らないのだけど、先日のこと。

お稽古事の時間が迫ってやむをえずバイバイすることになったお友達は「みんなと遊びたいよ」と言って号泣。
お家で遊ばせてくれたお友達は娘たちを送り出すときに「もっと遊びたかったのに」と言って号泣。
娘はというと最後のお友達との別れ際「一人になりたくないよ」と言って号泣。

そこ、なのね。
寂しがり屋なのだ。

「せっかく一日たくさん楽しかったのに、終わりに泣いたら台無しよ。また会えるんだから大丈夫。」

と言っていつもなだめる。

でもそう言いながら、ちょっと無責任かもしれないなとも思う。
だってそんな確約ないのだから。
“次”も“また”もないかもしれないのだから。

実際に「またっていつ?」と訊かれ、言葉を濁すのもいつものこと。

明日も明後日もその先の未来も明るい子どもにそんな心配は無用だと思う。
でもこればっかりはやっぱりわからないのだ。

大人になると嫌でもそんな経験をすることになる。

またお仕事ご一緒したかった人。
次に会ったときにお礼を言いたかった人。
また行こうと思っていたお店。

“次”も“また”も果たされなかったことはたくさんある。

だから、遊べるときに思う存分遊ぶこと。
先延ばしにしないで、やれるときにやりたいことをやること。
当たり前でいて難しいのだけれど、でもとても大事なのだ、後悔しないためにも。
そうすれば多少は気持ちも浮かばれる。大丈夫。

と、結局は、自分に言い聞かせている。

子どもに向ける言葉は、往々にして自分が誰かに言って欲しい言葉だったりする。

そして私もやっぱり泣き虫だ。
娘は私に似ているのだと思う。
だから感情が涙になって溢れ出てくるのもよくわかる。

でも、泣き虫でもそれなりに大人にはなれる。
誰かに迷惑かけているわけではないし、泣き虫だっていいじゃない。大丈夫。

と、やっぱり、自分に言い聞かせている。