M子の物語<旅>1
前回までのストーリー↓
いよいよM子も主催WSを実施する日がやってきた。
それは、年末頃から企画していたもので、
修士論文研究として考えていたプログラムを親しい友人に
パイロット版として体験いただくものであった。
ここで、彼女はある失敗をし、後日スーパーバイザーに厳しい言葉を掛けられることとなる。
落ち込むこともしたが、そこで立ち止まり続ける訳にはいかない。
不思議と、「ファシリテーターとしての人間的器があるだろうか」
という心配はもうしていなかった。
何年経験を積んでも、未熟な部分はあるだろう。
失敗や後悔もするだろう。
それでも、全身全霊で向き合っていくだけだ。
起きていないことを心配しても仕方がない。
やりたいならやればいいし。やりたくないなら止めればいい。
今はシンプルにそう思っていた。
一方で、WSが終わると、M子は虚脱感に襲われた。
事前準備と本番は夢中で必死なのに、
終わると「自分は何もしなかった」という気持ちになった。
宇ノ智がファシリテーターはContainer(容器)だと言ったが、
場がある間は満たされていたものが、終わると、
参加者それぞれが中のものを持ち帰り、
空っぽになったようなかんじだった。
“ WSをすることで、私が得たいものは何なのだろう? ”
八螺子が、「WSは作品であり、WSを創るというのは一つのアート」
だと語っていたことをM子は思い出していた。
WSを創っている過程には、充実感がある。創造性が活発化する。
自分が参加者の場合は、「あ~楽しかった!」で良い。
でも主催者の場合は、自分が楽しかったではなく、
参加者にとって価値を感じてもらえたか?
が心配になってしまうからだろうか。
それでもM子は次のWSの準備に取り掛かった。
『英雄の旅』という本を題材にしたドラマセラピーWSだ。
講座内で講師や仲間に発表すると、「面白い!」という反応を得て、
背中を押されたM子は一般向けに募集をかける。
ところが、参加申込が全然入らないのである。
イギリスで友達ができなかった幼少時代のM子が大人になった彼女に囁く。
「やっぱりあなたは人気が無いんだよ。
会いたいと思われる人じゃないんだよ。
あなたの企画は誰にも必要とされていないんだよ」
M子はこうしてドラゴンと対峙したのだった。
これだけコーチングを受けたり、提供してきたりして、
人の可能性を信じて、自分の人生の目的や響きを大切に
行動を起こしていくことをサポートし、
自分自身も体現しようとしているのに、
M子は自分自身を疑い、否定していた。
そう、ドラゴンは外にいるのではない。自分の中にいたのだ。
そんな自分を隠しながら、平気な顔で受けていた講座の中で、
ファシリテーター役をやっていた蛙にふと質問を投げかけられ、
抑えていた感情が噴き出した。
40代にもなって、みんなの前で泣く自分を恥ずかしいとM子は感じた。
しかし、二人の講師も仲間たちも温かい共感の気持ちで包んでくれたのだった。
(つづく。。。)
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