見出し画像

「こころの辻褄あわせ」をしてはいないか - 『「わかりあえない」を越える』重版記念対話イベントを終えて、ふと考えたこと

とてもありがたいことに、『「わかりあえない」を越える - 目の前のつながりから、共に未来をつくるコミュニケーション・NVC』の重版が決まり、出版社のプロデューサー・あーこさんのご提案により、記念のオンライン対話イベントを開催しました。

いつの時代にもずっと読み継がれてゆく作品として、この本が人々のもとに届いていることを、訳者のひとりとして、とても嬉しく感じています。

+++

NVCを学ぶ人たちが増えていくなかで、これだけは是非とも手にして欲しいと思っていた一冊。それがこの本の原著 Speak Peace in a World of Conflict  - What You Say  Next Will Change Your World(直訳すると- 対立の世界で平和を語る - あなたが次にはなすことがあなたの世界を変える)でした。

「どちらが正しいか」の先へ 。そこにNVCの目指す世界がある。そのシンプルなことが共有されることなくNVCというものが拡散していくことに、とても大きな損失を感じていたのです。NVCは単なる「スキルの一つ」ではない。「根幹的な意識」を問うものである。その深みから実践を試みた時、広がる可能性はとても大きいと感じています。

対立の世界においてなお、世界を紡ぐ力は、自分の中にある。こころに寄り添うこと。自分自身を縛りつける「支配・抑圧の言葉」から自らを解き放つこと。その選択に宿る、失われることのない強さのことを思います。

そして、この想像にはたくさんの余白を必要とするとも思うのです。「正しさを巡る争い」を越えた静寂に耳を澄ませるだけの、じゅうぶんなスペースを。

+++

「たちどまり、身体の体験しているものをうけとめ、呼吸をして、うちから言葉がわいてくるのをじっとまつ」。そういうことを、私はかつて、あまり意味ないし、どちらかというと面倒とか、弱っちいことだと考えていました。

「速やかに、論理的に、わかりやすく、的確に、効果的に」。そこにこそ価値があると思うから、そのスピードにあわせて辻褄をあわせていく。その辻褄合わせのために理論武装を使う。その論理武装は、本心から次第にズレてゆく(というのも、こころはそんなに「始終辻褄のあったもの」ではないから)。そしてやがて取り返しのつかないほど深刻な知覚鈍化を招く。気づいたらいつのまにか、本心(こころの声)を聴き分ける力が、か細いものになっていく。

そんな「黄色信号」を幾度となく体験してきたが故に「ああ、いま、立ち止まっておかないと、私は自分を信じられなくなるな」と小休止することを、最近は以前より意識的にできるようになってきたように思います。

「立ち止まる」ということは、時に1分にも満たない短い時間でも十分なこともある。そして、そんな短い時間であったとしても、とてもたくさんのスペース(ゆとり・余白)をくれる。にもかかわらず、小休止する・立ち止まることを、なぜひとは忘れてしまうのだろう。

平和の鍵を握るヒントは、どうもそのあたりにありそうな気がしています。

+++

そうそう。とある人が、このようなことを言っていました。「サバイブ(Survive)に夢中になっていてアライブ(Alive)を実感するゆとりがなかった」。自分とともにある人たちの暮らしを支えているなかで、さまざまな忙しさのさなか、生活を成り立たせることに必死で、Alive(いきいきさ)を感じるゆとりがなかった。

この言葉を声にしたその人とは比べものにならないほどに時間的ゆとりがあったであろう私には、そういった体験に、そこにある生身の感覚に、思いを馳せる時間がほとんどありませんでした。

こころに想像の余白を育む時間を、意識的にとっていけたら。それを人生を紡ぐひとつの指針としていけたらと、ふと立ち止まる、冬の日です。