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理不尽と抑圧と表現と
昨今の不穏な情勢を踏まえ、私なりに選んだ2人の作家、作品をご紹介します。
「おちゃのじかんにきたとら」
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ある日、ソフィーとお母さんがお茶の時間にしようとしていると…、「ごめんください。ぼく とても おなかが すいているんです。おちゃのじかんに ごいっしょさせて いただけませんか。」と毛むくじゃらのとらがはいってきます。そこでお母さんは言います「もちろん、いいですよ。どうぞおはいりなさい」ふたりは次々に食べものをすすめ、それを、とらはぜんぶ食べてしまいました。家じゅうの食べ物も飲み物もなくなってしまうまでです!
日本では1994年の発行ですが、初版は1968年イギリス。
ある日、お茶の時間(イギリス家庭の優雅なアレです)に現れたのは、一匹の大きなトラ。
突然現れた珍客の、慇懃で傍若無人なふるまい(差し出す食べ物全て食べつくす)にも、家族は怖がる様子もなく、ソフィーはトラの尻尾をなで、お母さんも事態を鷹揚に受け入れている異様さ。
そしてトラが帰った後は、帰ってきたお父さんと3人でレストランに外食に行く(夕飯もトラに食べられちゃったから)という、、、詳しくはぜひ絵本を読んでほしいのですが、ぶっとんでいてナンセンスな展開、ものすごくおもしろい反面、トラの得体のしれなさが、果てしなく怖いのです。
「ああ楽しかった!」で終われず、何度も読み返したくなる読後感。
作者のジュディス・カーは、父親がユダヤ人で、ナチス・ドイツの迫害を逃れ、スイス、フランスを経てイギリスに渡ったそう。
そんな生い立ちを知ると、楽しいお話にまたちがったイメージが立ち現れ、いっそう深読みしたくなります。
同様に深読みした方のブログ記事がたくさんあり、読んでいて楽しい。
トラはナチス・ドイツのメタファーである、いや、逆に流浪のユダヤ人のメタファーだ、、、諸説あり、読者が様々に想像をふくらませる余地のある作品。
作家ご本人はこれらの解釈を否定しているようですが、作者がどう意図しようと、解釈は自由に無限に多様であってよく、また時代とともに変わってゆくものだと思います。
今の状況のなかでこの絵本を改めて読むと、とても感慨深い。
戦争や災いは慇懃な態度で近づき、気がつくとある日、有無を言わせずすべてを奪い取る。でも、そんな状況にあって、心のゆとりを忘れないことが明日からの日常につながる、、そんなイメージを勝手に汲み取りました。
小さいうちはシンプルに楽しみ、大きくなってから読み込むとよいなぁと思いました。絵がとてもお洒落です。ああ、いい作品。
手をたずさえる塔(イリヤ・カバコフ)
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ウクライナ出身のアーティスト、イリヤ・カバコフは、旧ソ連の厳しい文化統制下において、絵本の挿絵などの仕事をしながら、ひそかに表現活動をしていました。
![](https://assets.st-note.com/img/1645889145931-Fun9kMp1GK.jpg?width=1200)
抑圧された状況下で、発表する場もないまま作り続け、それはやがてモスクワ・コンセプチュアリズムへと昇華します。
2021年12月に落成した「手をたずさえる塔」について、カバコフは次のように語っています。
カバコフ:多様性を重んじること、手をたずさえることは、世界で最も重要であるのにないがしろにされているものの1つであると私たちは考えています。「手をたずさえる」とはすなわち、あらゆる人種、国籍、文化の人々がお互いを人間として受け入れるだけでなく、あらゆるレベルで他者の知識を尊重し、理解し、育てるのを助けることです。真の意味で手をたずさえるために最良の方法は、文化と子供たちの教育です。私たちは植物や動物の世話をします。なぜなら私たちがそれらを必要としているから。しかし、私たちは子供たちが成長するにあたり、世界を理解するのを助けようとしなかったり、自分自身、他者、彼らが対処しなければならない人生に向き合うための価値観とモラルを与えようとしなかったりします。
夢見ること自体に意味がある
カバコフの自伝や自作年譜は、驚くほど多くの「苦しい」、「怖い」、「不安だ」という言葉で埋め尽くされています。カバコフは、生涯苦しみ続けてきた人であり、その中で夢見続けてきた人でした。
ソ連時代のカバコフは、自由に国外に行くこともできず、50代半ばになるまで自分の作品を展示する機会もほとんどなく、いつかその状況に変化が訪れるとも知らずに、アトリエにこもって制作していました。非公認の制作を行っていることで秘密警察に逮捕されるのではと怯えるあまり、自分が逮捕される瞬間を繰り返しドローイングに描きました。閉塞的で、生存の危険に満ちていた当時のソ連の状況は、現在のパンデミックの状況にも通じるものがあります。
カバコフはアメリカ移住後も、亡命者としての疎外感や病に苦しみ、そうした自らの境遇を《人生のアーチ》に重ねました。しかしそれと同時に、《10のアルバム》や《プロジェクト宮殿》などの様々な作品を通じて、ユーモラスな夢、幻想的な夢を描き続けました。
人間の夢や記憶の保存を主題にしたカバコフの一連の作品は、生きることは困難だが夢を見ることはできる、そして夢はたとえ実現しなくても、また、たとえ他者にとって荒唐無稽なものに見えても、夢見ること自体に意味があるということを物語っているようです。カバコフの作品の多くはソ連を舞台にしていますが、人間の生、苦悩、願望という普遍的な主題を扱っています。妻有に新しく生まれる《カバコフの夢》は、カバコフの夢のアーカイブであるだけでなく、あらゆる人の生と夢に捧げられた共生のプロジェクトです。
どうしようもなく理不尽な出来事はえてして起こり、激しく抑圧された状況の中で、それでも表現を続けること。
そうして意識的に、または無意識的に織り込まれる作家の人生経験が、作品をよりいっそう味わい深いものにするのでしょう。
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