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ミレニアムの渦



結婚願望が強かったよね

高校時代の友人も
短大時代の友人も

口々に
そう言った

そうかぁ
そうだったんだ

自分のことでありながら
周りに
気付かされることがある

客観視
出来ていないのか?
自己を省みる余裕が無いのか?

友達から見た私を
教えてもらうのは
嫌では無い


私の居場所

私が
私らしく
生きられる場所

そして
頼れる人のそばで
安心して
生きられる場所を

いつの頃からか
探していたのは確かである

でも
短大も専門学校も
就職も地元

もはや
長崎を出ることは
無いと思っていた



専門学校2年目
バイト代を工面して後期の学費を
母に託し
職場近くの学校の提携銀行で
振込を頼んだ

そこで求人の貼り紙を見つけた母
募集としては
「経理職」だったけれど
インテリア関係の卸業の会社

県外への就職を希望しながらも
なかなか希望の職種の求人も無く
苦戦していた私を
見兼ねていたのだろう

間もなく
その会社へ面接に行く

カーテンやクロスなど
見本が並んだオフィス
小さな会社だったけれど
アットホームな雰囲気

簿記3級程度を持っていれば
大丈夫とのこと

退職予定の方との引継ぎの都合もあり
10月から来て欲しいと言われる

学校とも相談し
11月に控えていたCADの検定までは
受験したい旨を会社にも承諾してもらい
午前中は会社
午後から学校で試験対策
そんな特例の生活が始まった

職場には常務と先輩女性社員が二人
新入社員の私を娘のように妹のように
可愛がってくれた

その先輩たちの繋がりから
旦那さんと出会うことになる
それは4月のこと

その少し前3月の半ば
短大時代の恩師から電話がある
母校の短大が4年生大学になり
恩師が担当している授業の
画像処理のサポートができる
嘱託の助手を探しているとのこと

サポートや研究をさせてもらいながら
きちんと給与も発生する
しかも
今の職場より好待遇

迷った

かなり迷った

引継ぎも終え
独り立ちしたばかり

この状況で
転職するなんて
会社にも迷惑をかける

迷って

迷って

結果
大学にチャレンジすることにした

常務に相談した

先輩たちにも
引き継ぎできるの?と
問われる

かなり迷惑をかけたけど
5月下旬には退職し大学へ

大学では
番組制作の出来るスタジオの
管理も任され
普段は
その部屋で1人で過ごす

決まった仕事は
ほとんど無い
自由な時間があり過ぎて
何をしていいかわからない

これまでの
職場とのギャップに
戸惑いを隠せなかった


旦那さんは
地元は長崎だけど
職場も住まいも佐賀

週末
お互いに
行ったり来たりしながら

GWには
それぞれの家族に紹介

結婚を意識する

6月には結納

働き方も見失い
とうとう
大学も辞めて

7月には佐賀で
一緒に暮らしはじめた

11月に式を挙げることになり
準備を進めながら

8月に入籍

佐賀で仕事を探そうとした頃
妊娠発覚

ドレスの選択肢も限られてきて
ぱっつぱつで挑んだ・笑

ほんとに

振り返っても
怒涛の1年だった
2000年

ある意味
いくつもの波に
渦に
飲み込まれてしまっていたのかもしれない

いろんなタイミング

選択

判断

21才~22才の私には

その都度

それが
精一杯だったと思う


さぁ
みなさんに
私は
どう映っただろうか?

長崎で暮らす長女に
私が居ないところで
祖母が言っていたらしい

「あなたのお父さんは救世主だった」と

そこは珍しく
私も
共感できた

そして長女は

私が居たあのスタジオで
授業を受けている

摩訶不思議


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