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2022→2023

テレビをつけていたら
カウントダウンが始まって
確かに
視覚と聴覚とで
その時が来ることを意識する。

それがなければ
音もなく
目にも見えないまま
2022年は、去って
2023年は、やってくる。

makijakuとして以前に
妻、母、娘、姉、、、
いろんな役割があって
年末年始は
その配分が大きく
今、ようやく
ゆっくりと「私」の声に耳を傾ける。

いろいろあった。

2022年
いろいろあり過ぎて
1人で抱えきれなくて
誰かに寄りかかって
支えてもらって
迷惑もかけて
強がって
そして泣いた。

いろんな人と1番話した1年だったことは
インスタの投稿でも触れたけど
たぶん、揺れたり、泣いたり
「わからない」状態に苦しんだ時間が
多かったのも、2022年だった。

自分に説明がつく、そこにたどり着けたのは
「22+22=44」を完成出来た4月頃のこと。

そこから
祖母との別れ
母の怪我、入院
実家の整理
佐賀と長崎を行ったり来たり。

先が見えない
見通しが立たない
そこに
初めて!な
感情や距離感、立ち位置
そういうことも絡んできて
もみくちゃになっていた。

それでも日々は、続いていく。
自分を納得させることが出来なくても
朝、目が覚めて
お腹は空くし
喉も乾く。

体は正直。

ただ、この肉体を生かす部分に
意識を集中させていれば
何の苦悩も無いのかもしれない。

それでも私は
考えるし、考えてる私は
ずっと頭の中で喋っている。

もう、それも、私の個性で
この肉体に住み着いた魂。
セットなんだと。

1日1日
1つ1つと向き合っていく。
それを繰り返していきながら
確実に変化していく部分があって
整理もされていく。

1人で無理なら
誰かの手を借りて。

その手も適材適所。

2022年のラベルを貼った箱に
全部をしまって
新しい2023年を迎える。

そうできたら
イメージとしても分かりやすいし
楽なのかもしれない。

今、確かに、少し距離を置いて
2022年を俯瞰で見渡している。

そうして、前を向けるのなら、それでいい。

2022年があったからこそ。
それまでも、それまでがあったからこその今を
しっかり感じて歩いていく。

出逢った人たちの欠片で、出来上がっている私が
この先、誰かに、渡せる何かがあれば、嬉しい。

あらゆる出逢いに感謝して
あなたの人生の登場人物になりたい。


makijaku

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